優しいと、思われたい。


優しい子だなって、いい子だなって、思われたい。


もう既に誰かのものである誰かが相手であっても好かれたいし、その瞬間対峙している相手の、その瞬間以外もいちばんであればいいのに、なんて、思う。


ばかみたい。ばかというか、気持ちが悪い。

けれど、そういう性質が自分にあるということを、段々、嫌々、自覚し始めている。


優しいと、思われたい。

そう、言った。

何が問題かって、実際は優しくないから、思われるはずがない。し、思われてはいけない。と、思う。わたしを優しいと相手が感じた瞬間、わたしの相手への振る舞いは嘘であるし、くどいようだがわたしは優しさから対極で生きている。


人に優しくあるには、臆病でいちゃ出来ない。


臆病だから優しくできるって、そんなロジカルな話は置いておく。わたしが話したいのはそんなことじゃなくて、そんなことのようでいて、どんなことでもない。


優しいと、思われたいと、思う。

けれど、わたしが自分の首を締めないで生きるためには、極力最低限人を傷つけないような生き方が、今のところ、当たっている。

可もなく不可もなく。そんな存在。


優しく仕方がわからなくて、一度優しくしてしまうと身を滅ぼすまで気遣いを張り巡らせてしまうから。

そんなのは優しさと言わない? うん、だからさ、一般的な定義の話をしたいわけじゃないからね、わたしは。


わたしは自分が息をしやすい環境をわたしに誂えることを決めたのだ。濃やかな気遣いはしない。気づかないようにする。けれど、傷つけることのないように。


そんなことを言っても、気付くものは気付く。そりゃ、長年の蓄積だもの。今までの自分だとここでこうしてたな、なんて、ため息の出るほど有り余る。


気づく。気づきたくないけど、気づく。後になって気づいたときなんかが、いちばん酷い。


あそこでこうしなかったことで優しくないと思われたんじゃないか。

あれ、でも優しく思われたがっているのかわたしは。

その欲に、自分の浅ましさをみて、心臓を冷却されたような苦しさ、というか、吐き気のする気分の悪さ、というか、そんなものが絡みつく。シナプスに、絡みつく。


それでもなんとか、「無理に優しくしない」という意識を保っているから、まぁまぁ、いいよねいいよね、ということにしてどうにか流しているけれど、だって万人に好かれようとするのは愚行だし、けれど、相手が本当に好かれたい相手だったらどうしようか、そんなことを、夜な夜な考える。だから寝不足なんですね。わかる。


相手のために構築されたものが建設する「好き」はどれだけ本物なのか。

そんなことを言えば、感情の本物偽物の境は、どこなのか、そもそもあるのか。

感じたものを全部信じるしかないんだね。そんな風に、思う。

あ、嘘言ってるな、って思っても、「あ、嘘言ってるな、って思ったようなこと」ごと現実であるのだ。はぁ。難しいね。


 

ブログの方向性がどんどんブレてゆく。今日もお月さまは美しゅうございました。昔の人は、月と情事を交わしたいと切に願ったことはなかったのでしょうか。わたしが今と違う性別で生まれていれば、月を指標にエクスタシィに走ったのではないか、今日はそんなことを思わせる月でございました。


では、今宵も、徒然に。



*お月さま、あのね、 ふみ