不良少女、寝ぼけ眼のひとりごと

 

誰かのために言葉を選びたい。

贈り物を選ぶときのように。その人のことで頭をいっぱいにして、棚から商品をとっかえひっかえして、その人で頭が埋まる時間が欲しい。

 

頭のてっぺんから、噛みつくように愛して - まだかのふみもみずに という作品がある。私が初めて満足する出来で書き上げられた小説と言っても過言ではない。私は未だにこれを超えたものは書けていないと思う、つまり、このときの切実さで、そして、このときほどの的確な感覚では、何も。超えそうという手応えのものもあったが、そうしたものは未だに完結へたどり着かない。

私は、この作品がとても気に入っている。もちろん拙いけれど、素敵だな、と思う。こんな風に、全てが私の中でリンクしていくように言葉やシーンが生まれていったのは初めてだった。心地よかった。あれはなんだったのだろう。あまりにも魔法的すぎた。

なぜか。たぶん、わかっている。これは、私がとある人へ捧げた作品だからだ。彼女に読んでもらうために書いた。かつての大切な友人だった。価値観は逸れて道が割れゆくかもしれないと見えたとき、「頭のてっぺんから、噛みつくように愛して」という言葉と大枠の展開が頭に浮かんだ。書いてみよう、書いてみるくらいいいじゃないか。別にストーキングでもないしラブレターでもないんだし。

私の見えている限りの彼女について、私は来る日も来る日も考えた。響かせたかった。届けたかった。共感するって言わせたかった。ねえだからあなたは間違ってないんだよって。あなたを肯定する人はここにいるよった。私は彼女に伝えたかったのだ。わかってほしかったのだ。だからあなたをあなたは否定しないでと。そしてあわよくばーーいや、意地なのだろうこれは。あわよくば、じゃない、本当は一番奥でずっと叫んでいた、ずっと前から。「私を見て」。あなたを強固に見つめる私を、あなたは見ていて。せめて私だけを、複数人の集団のなかで間違っても私だけを無視したりしないで。

こんなに共鳴、そして視界をアップデートさせてくれる人がこの世にいるなんて。そう思っていたのはきっと、私の方だけだったということなのだろう。わかっている、それを責める権利は私にはない。拗ねるなんて、駄々をこねるなんてーー付き合っていてくれたのは向こうの方なのだから。

ねえ、わかるって言って、あたしのこと? って思って泣いて。私があなたを見つめていたことに気づいて、逃げないで。なんでもない風に連絡をした。「小説書いてみたんだけど、読んでくれない?」読ませてと返事が来た。私はデータを送った。そのあと、返信は来なかった。

 

しばらくして、彼女と二人で会う機会があった。私は決して催促じゃないよって、あなたに読んでもらいたいなんて傲慢を抱いてないという身の潔白を証明するきもちで、ふと小説の話題を持ち出した。「たい焼き食べたいって、最近ずっと言ってたんだ」と彼女は言う。「わかる、って思った」私は泣きたくなる。あなたにそれを言わせたかった。けれど、けれどーー私は気づいてしまった。

あなたは私が水を向かなければ触れるつもりもなかったのだ。

まだ読んでないと嘘をつくことだってできた、私はそれを聞くことになるだろうと確信までしていた。それなのにちゃんと彼女は読んだことを認めたし、読んだうえで、私の聞きたかった一言を、その中身を伴わせないまま聞かせて私を喜ばせておいて。

だから、つまり。

届かなかったんじゃない。届いた。届いたうえでーー響かなかった。大事に深く触れるほどの価値は見出されなかった。

 

当時の私の全てを注いだ作品だった。

これで彼女の心に触れさせてもらえないなら、一生無理だと、それは諦観ではなくそれほどまでの自信だったのだ。

 

それは、たぶんちょうど一年前くらいの頃だったのだと思う。

誰の心にも触れさせてもらえないなんて、そんな人間は価値がないと思った。今思ってないわけじゃないけど。

私の言葉にはそんな価値もないのかと思って、しばらく何も書けなくなった。書いても書いても文字が腐る。全てゴミのようだった。吐き気がした。

かと思うとこんなの響かない方が悪いと、内心で彼女を無茶苦茶に攻めることもあった。いつもそのどちらかだった。ほんとうに誇張抜きで、燃やしていたのだなと思う。命を燃やして、魂をおろし器で削って、その破片で書いた物語だった。何度も全て嫌になってブログから作品を消したけど、結局大切で戻して、そんなことを繰り返していた。

彼女とは、もう連絡をとっていない。拒まれるのを好むほど、私はマゾヒストではなかった、残念なことに。

 

 

贈り物のように書くことが好き。

私はたぶん自分のために書くことはできないのだと思う。

否。

書くことはできる。だって現に毎日あげる作品たちは全て私が生きるために私が書いた文章だ。私が選んだ言葉たちだ。

けれどそうしたものなど、贈り物を前にしては醜く脆く崩れゆく。

お題箱に届くお題。誰か分からない、知らない人からの言葉にときめいて、その人はふだんなにを考えているのだろう、どきどき考えながら、濃く、書く。色がついて、風 - まだかのふみもみずに とかね。これは何ヶ月もあたためて、ある晩一気に書き上げた大切な詩。

まばたきほどのシンデレラ - まだかのふみもみずに という作品もある。フォロワーさんの誕生日に書いた小説。「頭のてっぺんから、噛みつくように愛して」に比べるとだいぶ劣悪だけれど、久しぶりに強い思いで書くことができて嬉しかった。私には言葉があるんだなと思えた時間だった。誕生日には到底間に合わなかったけれど、相手は素敵な感想を書いてくださった。届いて、響いたんだな。その頃にはたい焼きの呪縛から逃れ、多少筆を軽くふるうことができていたけれど、それでもしみじみと喜びはしみた。そしてもう一度たい焼きのことを思い出して、悲しくなって泣いた。

届く人、受け取ってくれる人、届かせてくれる人。響く人、響きうるという姿勢で受け取ってくれる人。思えば、何かを感じないように彼女は必死だったんだな、とぼんやりわかる。私に響かれることを頑なに拒んでいた。仕方のないことだった。どちらにとっても。

 

私はたぶん、誰かのことで頭が埋まることに焦がれているのだと思う。私にとってとても大切な「書く」ということを、とても大切な相手に使いたい。使わせてほしい。それで苦しくなったりすらしたい。傲慢だと言われようとも、だって、人と繋がりたいじゃないか。なんだかんだ言っても本当は人ってひとりじゃないよね、って思いたいもの。私が命を燃やして書いた言葉が、あなたの命をきらめかせたらそんな素敵なことはないじゃない。そんな泣きたくなるような、泣いても泣いてもどうしようもないような、死にたくなるような素晴らしいこと、ありえてほしいんだもの。

 

拝啓、拝啓、拝啓。私はいつだってあなたに代入できる人を探している。