門番はアルタイル

 記憶を頼りに訪れたその場所は、どうやら正解のようだった。満天の星がそう告げていた。都会から外れ、人工の明かりはほとんどない。道中にあった民家も、目的地に近づくにつれ少なくなっていた。
(……から、……は……んだよ)
 目に涙が滲む。この場所を教えてくれた人は、もうわたしのそばにいない。元気にしてるだろうかと思う。元気にしていてほしいと思う。それでいて、実はもういなかったとしてもそれでいいなんて思う。訃報なんて、一生届かなくていい。生きていても、そうでなくても、全てわたしの知らないところでーー思い出に縋れるままで。それくらい、大切な人だった。
 初めてここに来るまで、空にこんなに星があるなんて知らなかった。夜空がこんなに黒いということも。東京の空は昼も夜も白く濁っている。わたしはあのときもそうしたように、そっと地面に寝そべった。首が辛いでしょう、とあの人が笑っていたことを覚えていた。
 地面は乾いていたけれど、どこかしっとりとして優しかった。深呼吸をすると、土の匂いがした。鼻や、耳の穴から、夜が入り込んでくるような感覚がした。そうしたら、たぶん大地に抱かれて、わたしはとても満ち足りるだろうと思った。やわらかい草が、わたしの素肌に触れて少しチクチクとした。空はきちんと黒くて、暗くて、星は自ら発光してるわけでもないのになぜだか星空が目にしみる。空を埋めるように散らばる光。手を伸ばしても、走り出しても、決して届くことのない光。控えめに漏れてしまって、本当は漏れるはずですらなかったような光。こんなに星がある。宇宙には、こんなに星がある。こんなにたくさんある星の、お互いの距離はさらに離れていて、そこを巡るにはたぶん途方もない時間がかかって、それなのにまだ死んでない見えていない星だってあって。そのひとつひとつが、地球とか月みたいに大きくて、もちろん戸建てが何億個ぶんとかの大きさで、ああ、ああ。わたしには一日が二十四時間、一年が三百六十五日与えられていて、少しも余裕がないまま生きているのに、光はそんなの横目にして通り過ぎて生きている。わたしは結構いっぱいいっぱいに体を使って、いっぱいいっぱいに時間を使って生きているのに、わたしの知らない、一生かけても見られない場所がたくさん、こんなにたくさんある。目眩がしそうだ。それなのに、わたしはこんなにくらくらしそうなのに、星たちときたらきっとそんな自覚もなくあんなに美しいのだ。空だけでも、きっとわたしはその広さをきちんと分かれていないというのに。そこを埋める星たちときたら、なんてことだろう。こんなものがあるから、とわたしは八つ当たりのように思う。こんなものがあるから、こんなに、きれいな世界を知ってしまうから、だからわたしは。


 「落ちてきそうでしょう?」
 まだ青かったわたしに、あの人はそう言った。わたしもそう言おうとした! 上ずった声で、わたしは答えた。
「こうして見ると、ここは監獄みたいでしょう?」
「監獄?」
「そう。あんなにたくさんの星たちに睨まれて」
「睨んでいるの?」
「どうかな。でも見つめられてはいる、少なくとも」
 わたしはあの人の声が、とても好きだったのだと思う。星が流れるとき、きっとあの人の声みたいに、ほんの少しざらっとして、心掬うような音がするのだと、わたしは思っている。
「落ちてきそうだね。全部」
「それさっきも言ったよ」
「きれいだ」
すごく、きれいだ。きれいだ。本当に、きれいだ。あの人は強く、強く強くそう言った。泣きそうな声だった。わたしは泣かないで、と思いながら、わたしもなぜか泣いてしまいそうになった。そうだね。本当にきれいだ。本当にきれいだね。本当にきれいだよ。
「檻みたいだって、思うんだよ。星に閉じ込められているみたいだ。この世界を、星が囲んで、出られなくしているみたいだ」
「……出たいの? 嫌いなの、星?」
「そんなことないよ」
あの人は弱々しく答えた。本当に弱々しくて、それでも幸福そうに見えた。
「こんな美しいものに、囲まれて阻まれているなら、その外がどんなに素晴らしくてもここから出られなくていいかな、って思うよ。だから、きみも」
 死にたくなったとき、死ねないことを責めなくていい。
 この世界はこんなに美しいんだから、きみは死ねなくたって何も悪くないんだよ。


 瞼が洪水を起こしたように濡れていた。そうだね、この世界は星の檻でできているね。そう思った。あの人が今ここに現れたりだなんて、そういうドラマティックな展開があり得ないことは分かっていたし、そもそももう会えないのだろうとも分かっていた。それでも、どうかここであの人に会いませんように、と願った。わたしがここに来たということが分かったら、あの人はきっと分かってしまう。あのとききっとあの人が思っていたことをわたしが今思っているということを、分かってしまう。そしたらあの人はきっと、優しく、困ったように笑う。そんな顔をさせたくない。
 空を埋め尽くす星たちの光が、幻想にすぎないけれど迫ってくる。あなたはわたしを見張っているの、守っているの。わたしは弱々しく笑う。きれいだ、本当にきれいだ。わたしをこんな世界に留めておくのはあなたね。馬鹿げていると知りながらそっと空へ手を伸ばしてみる。それでも、死ねなくていいのね。悪いのはきれいなあなたたちよね。そうだよ、とあの人の声が、記憶の中で鳴って、わたしの脳を震わせる。背中が冷たくて、体を起こした。拳をぎゅっと握りしめて、星を掴んだ気になってみる。わたしが生きるのなんて、あなたのせいだからね。頰を流れる涙を、星の光がなぞる。

 

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お題「この世界は星の檻で出来ている」

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