【お題箱 僭越ながら回答編】

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メッセージくださってありがとうございます。

普段では到底得難い、そのような印象を持ってくださるような、そんな方がネットで私を見つけてくださったことに感動を覚えます。


恥ずかしながら読書量は人並み程度ですが、確かに語彙は本から得ている気がします。あとは高校時代の猛勉強の残骸みたいな……  

 


 以下は機会を得たばかりにいらんことも喋る典型の展開です。

 


まだ言葉になっていない感覚や感情などをあまりにぴたりと言い表せたとき、そのどうしようもない快感が幸福なので言葉を覚えることは楽しいです。わくわくします。


自覚的であることが自分にとっては必要なことだという気がしています。自分の感情について、何が理由で何がどうなってどうだからこうなのか。そういうことに共通していることはなんだろう、じゃあ自分が強く関心を持つのは(≒アイデンティティを委ねているところは)こういった類のことなんじゃないか。なんでこういう発想に自分はなって、他人はならないのだろう。この感覚は何に起因して、どういう方向性のものなのだろう。もちろん自分で解明したことの全てが正解とは限らないけど、それが日々アップデートされていくと自分の中身がつまっていく心地がします。

もっとも、これは努力というより私の短所でもあって、私を苦しめるものでもあるのですが。一度何かに自覚的になってしまうとドミノ倒しのようです。頭がいつも喋っています。少しは休みたい。

人間の感情は一筋縄ではいかないし、おそろしいほど多面的で、死ぬまで自覚できない固有の性質もきっとあるのだろうと思いますが、そのこと自体も自覚する。無知の知と言う通り、やはり自覚は人の精神的成長をスピードアップさせるもののように思います。

もちろん、感覚的に何がどうだとか、わからないけどなんかこうとか、そういうものの魅力も強く感じていたいです。全部ほしい。


とはいえ、肝心なのは、これがあくまで私の領域であるだけということです。

本能に近いところ、つまり感覚や感情をベースにする人

論理的思考能力にステータスを全振りし、大量の知識を系統づけることに長けた人

それぞれの比率は各々だけど、陳腐な言い方をしたら個性なのだと思います

私はおとぎ話のコウモリのようにどっちにもなれず、またどちらとも共存ができず、こんな宙ぶらりんでいるので。

稀有なことに質問者様は「頭の良い言葉」と表現してくださいましたが、私みたいなものは愚かだと笑う人も実際よく遭遇します幸か不幸かおとといきやがれ


結局なにかというと、私はただ単にロマンチストなのだと思います。しかも相当過激な。それ以上もそれ以下もなく。


私がフォローしている方々におかれましては、もちろんいろいろなタイプの方がいますけれども、そのどなたにも及ばないなという気持ちでいます。これからも精進する必要がありますし、していくつもりでもありますが、どうかこれからも見守っていただけたら嬉しいです。

 


蛇足ですが私が心から惹かれる小説を書く方は、辻村深月氏とよしもとばなな氏です。ばっちり一緒の人がいたらそれはもう絶対に運命。話が合ってしまいすぎて困りそう。なんて。

 

 

追伸

その人自身の世界の本質を突くことができるのはあくまでその人の言葉のみで、語彙はあくまでその手段です。難解な言葉である必要性はありません。その人が愛し扱える言葉であれば誰かにレベルをジャッジされる謂れはないのです。ふと思い出すことがあったので、補足まで。

 

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