服従させたかったのかもしれないな、と思う。
身の丈相応に、相応以上に認めろ、だとか。
そういうのは全部「足りなさ」の蓄積が果たした断続的な爆発なのだろう。認めて認めて認めて認めて認めて、いつだって心は叫んでいた認めて。屈して、というのも結局は認められた実感が欲しかったからなのだと想像がつく。せめて、分相応を定めてほしかった。それ以前に、そもそもいつも何かを必死に追いかけるようだった。追いかけていないと疲れるような。子宮で4,5年眠っていたのかもしれない。何とでも言いようはあるけれどつまり、私はどこにいても大人だった。同時に、とても稚拙だった。難しいことを考えることができた。頭はよく回った。周りはいつも一歩かそれ以上引いて「仲良く」の体を取ったし、実際私はひどく退屈だった。たとえば自分以外に手をかけられても私が困ることはそこまでなかったし、出会ってきたなかで歳上の人間に面白味を感じたことも殆どなかった。今では誰もが誰もそうでないと分かるけれど、少なくとも私の身近な(血縁や環境柄身近であることを強いられる)大人は、過ごしてきた時間のぶん知識こそあれ思考力に欠けていた。そして、私はとても幼い顔立ちと声をしていた。稚拙というのはこのことだった。理解ができないことになると、人は私を誤りだって微笑んで、それは幼子を見守る生ぬるさを貼り付けていて、とても不愉快だった。認めて。せめて分相応に。拗らせた絶対的な自己愛と、育まれた自己肯定感の不在は精神にアンバランスをもたらして歪みを招く。あるがままで、頼りになると言われる私と、佇むだけで未熟さを放つ私。見下してきた数々の人と、そんな風にだけはなりたくないと鼓舞する私。当時の年相応に我儘放題でいたかったけれどそれが可能なことを知らなかった私。同一個体の感情を、当たり前のことなのに全てを認識できないこと。
私はまだ激情と変化と、発展の途上にいて、それは誰もが通った道であるとはいえ今この瞬間を、私という人間が口にすることはひどく後ろ指を指されることに感じる。完成されていないと物を語っちゃいけないような。あくまで自分にのみ適応されるむちゃくちゃな理屈は19年の弊害というよりもむしろまさしく結果と言う他ないものである。弊害と言うならまさにこのことが、自分が今までに散々他人を退屈に感じて見下して否定してきたことが招いたという点だろう。自分の中に潜む自分を査定する瞳は厳しい。せめて自分くらい自分を好きで、と言うものの「せめて」なんてとんでもなく、私のような人間は自分に好かれることがとんでもないハードルで、潰しても潰しても全滅しなくて、それでも認めて欲しい、認めさせる、屈させるだけのものを自分が持っているという自負だけは強靭で、ちぐはぐちぐはぐして認められたくて認めさせたくてでも自分が認めて欲しいと思うなんて責められるんじゃないかとも思う。リアリティのないものを嘲って能天気みたいなポエムを拒絶して、人は苦しみを知らないのだな、と思う私を、多分こんなの間違ってはいるのだろうな、と心のどこかで思いながらもそのままの私でいることしかできないでいる。たぶん、私は羨ましいのだ。底抜けに、とてつもなく、身が焦げてしまうほど、羨ましくて悔しいのだ。呑気に生きてられること、絶望を知らずにいられること、死ねない夜を呪う経験がないまま生きていられること、処女みたいにピュアな妄想を書き連ねていられること、帰りたいと思える場所があること家庭があたたかで正常であること、全部全部。羨ましくて仕方なくて素直に羨む余裕なんて到底なくて憎むしかその緩和はなくて、自分が今まで感じた苦しみや辛さと悪夢みたいな経験を列挙して「どうしてあなたはこれだけ苦しんでないの」と詰りたくなる。馬鹿馬鹿しいほど身勝手なのは理屈が分かろうとも感情が受け入れなくて止まない恨み節。まるで私のなれなかったモデルを見せつけられてるみたいに、なんで彼彼女が私じゃないんだどうして彼彼女が私じゃないんだと、泣き喚いて壊れたい気持ちが私を壊さないために否定に逸れる。目に触れるそばからあらゆる人を言葉を否定していく。だから最も厳しい目が私に返ってくる。抜け出す綻びも生まれる隙がないまま、どんどん苦渋は循環していく。そのことが、余計に私を孤独とくっつけておく。私と孤独とを閉じ込めてしまう。私はただ幸せになりたいだけで、幸せになるには生きていなきゃいけなくて、生きていれば他人が目に入って。
私は自分の文章が好きだ。大好き。自分のことなんかより数億倍好き。自分の発想が好き。表現が好き。私しかいない世界なら世界で一番私の文章は最高だと、思う。毎日は寝て過ごすだけでもフラストレーションが溜まり、表現することはいつも私のそばにあった。なんのきっかけもなく、ただ必然性をもって、表現することは私のそばにいた。だから演劇を始めたし、下手だけど歌うことも好きで、文章をまともに書き始めたのは高校を辞めて時間が有り余ったからだけどお話を考えるのはずっと好きだった。中学生のときには初めて二次小説を書いた。手書きでノート2冊分。を、二作品。今読み返してもまあまあ面白い。絶対に迎合しないと強く決めたのは、自分を可愛がりたかったからだ。なんなら媚びは腐るほど売ってきた。もう他人のために何かすることが心から嫌だと思った。自分の好きなことだけを書いた。好きなようにだけ。届く人はほんとに僅か。それでも万人にウケるために自分の嫌いなものを書きたくなかった。希望を与えるもの、愛を持って書くもの、薄っぺらいポエム。うわべ表現が素敵だからといって意味もない言葉を組み合わせるのは絶対に嫌で、どれだけ自信のある表現が生まれても意味不明なものは絶対に使わなかった。認められるために書いてたの? そうじゃない。自分のために書いてて、そのはずだったのに、届く人が少ないことはいつも私をうちのめした。自分がそのことを打ちのめされたと感じたことも、私をうちのめした。好きな人の言葉しか見えないようにした。あと三度生きても書けないような言葉を見るたび自信をなくして、私の放つ文章の手応えにさらに自信をなくして、あってないような元々の自己肯定感はさらに削れていった。私、なんのために書いてたんだっけ? そう思うこと自体が屈辱に感じられて、段々屈辱だと感じるのも疲れるほど削れた。分かりやすい、薄っぺらい(と私が感じる)言葉はよくウケた。私が何を思ったところで、別にその発言者は愛されるわけでどんどん世界から自分が剥離していくのを感じた。もしかして私が間違ってただけで届いたと思っていた人もこういうのが良かったのかな。と思った。でも仮に私が間違っていたところで私にどうすることはできなくて途方に暮れた。
こんな話に面白味はないだろう、と思う。それでも書くしかない。書いて、生きているしかない。生き急いでいる自覚はあって、私は早く大人になりたい。生きた年月の長さだけで、発言や思考で他人を押し潰せる大人。ズルいズルいと思っていた大人に。大人になった私はきっと今の私を笑うんだと思う。あの不愉快な微笑みで、嘲笑するんだと思う。それでも私は大人になりたいのか、いっそ永遠に子どもでいい、とも考えながら、自分の幼い気味の悪い散々陰口を叩かれた声を憎み呪いながら、それでも死なないではいるために私は書くしかない。そう思う。(2018.01.04)