短期的かつ短絡的人生にみて結構な危機に陥っている。


つまりここ数ヶ月、声が出ないのである。

幸か不幸か、1週間足らずで主演舞台が控えているにも関わらず。


原因は分かっていて、いるだけども、どうにもしようがなく途方に暮れている。だってこの症状は全部心因性だから。

もちろんワカバみたいに通院をおサボりすることもなく過ごしてはいるけれど、それにしたってどうしようもないよなぁ、と思う。


家庭のこと、他人のこと、自分のこと、家庭のこと、家庭のこと。

認知療法なんてものもあるけど、こんなに幾つもの自覚を持ったにしても、ストレスの原因を回避することは困難を極める。だって現在は学校にこそ在籍していないものの、学生。経済の点にのみ焦点を絞っても、とても自立できる状況ではないし。 

そもそも、心因性の諸症状に対して「ストレスのない生活を」という助言はいかがなものだろう。そんなこと可能だろうか。わたしには生がストレスそのものに思える。一番のストレスフリーは、バー・生じゃないか、って。


それにしても、人体て本当に不思議よね、と思う。

思っている以上に心と体は密接にリンクしている。もうずぶずぶ。

通院を始めたころは、「え、こんなこともこんな症状として出るの?!」と何度もたまげたものだ。



胃が膨れている。

けれど、お腹が空いた、と感じる。

仕方ないから、ボウルにいっぱいの野菜をフライパンにぶち込んで、炒めている。

あからさまな生の象徴じゃないか、空腹なんて。忌々しい、と思う。生を受けていることに、それが継続されていることに、無性に腹が立つことが、時々、ある。


そもそも生がどうして世の前提なのか、わたしは幼いころから首を捻っている。ねじねじねじねじ、捻っている。クロールの息継ぎは確か左でやっていたから、きっと最初に捻ったときが左に捻ったんだろう。


だって、ものすごい理性の総動員で、カロリー消費を要して、やっと生きることとは執り行いその上継続することができるのに、そこに自らの意思は不可欠なのに、生の誕生には自らの意思は一切関与できないなんて。

なんなんだろう。このどうしようもなさ。もだもだ感。


油で炒めただけの野菜たちが、やたらいい匂いをさせ始めた。かさを減らせるもんなら減らしてみな、そんな表情で挑戦的にフライパンに居座っていた野菜たちは茶色くしなびている。

ふふふ。美味しそうな匂いをさせやがってさ。まあきっと、匂いほどは美味しくないんだろうけど。料理はそんなに得意じゃない。



人生って、宗教じゃないかと、思う。

生が正しいという価値観の信仰。(もちろん、否定しているわけではない)

法とか愛とか、目に見えないものの存在の信仰。

楽しいとかの感情だったり、何にしろ、生きる意味に値するなにか探しin人生。物でも人でも概念でも。


ずっとそれを、信仰したいものを、探している。探しながらないと泣き喚きながら駄々をこねながら、けれど芝居にわたしは生かされている。


一時期、芝居ができなくなったことがあった。芝居だけが、できなくなった。

一気にたくさんの身体症状がガタとしてきて、何ヶ月もかけてゆっくり回復してきたところだった。

それまでは、芝居も何も、ただ息を執り行うことができなかったから芝居ができないのも多少の諦めはついていた。

けれど、なんということか、普段大丈夫な諸症状が、芝居に関わった(考えるだけでも)瞬間にぶり返すのであった。

そのくせ、芝居を頭から追い出すとぱたりと止むものだから本当に気に食わない。気に食わないし、解せないし、許せないし、やるせないし、悔しいし。し、し、し。

「ああはいはい。お芝居金輪際やめりゃいいんだろ?!?! そしたら元気になれるんだろ?!?!?!」とヤケクソにキレてキレてどうしようもなくキレて、そんな決意をした途端、身体的に穏やかな毎日になった。


けど、困ったのだ。どうしようもなく、困ったのだ。まだ短い人生経験においておそらく一番、困ったのだ。

何のために朝起きるの?

切実に答えが見つからない。

今は置いといても、これから先も生きていても芝居をやらないのに、何のために朝起きるの?



あの恐ろしさは多分ずっと忘れないだろう、と、思う。

同時に、もうあの絶望は味わいたくない、と思う。

そんなことを言っても、芝居に触れると症状がぶり返すというのは、治ったり治らなかったりの波がありながら、今に至っている。




冒頭でもちょこっと触れたけど、今週には主演舞台を控えている。

オーディションを受けた時期は少し体調も落ち着いていて、稽古が進むにつれ体の調子も良くなるようには思われた。けど、これだ。


役者たちが発声をしている間、わたしは廊下に出てこっそりと泣く。悔しい。悔しい。悔しくてたまらない。

苦しくても疲れても頑張って通院してお話をして、ぱっと開けたくらいたくさんのことに気がついて自覚があらわれて、今わたしは稽古が楽しいと思えていて、好きなことをできていて、きれいに声が出るイメージもこんなにできているのに、喉が痛い。痛くてたまらない。喉がつかえて、痰が絡んで、声はかすれて、悔しさに右腿をよくぱんぱんとはたく。


やっぱりわたしにはまだ無理だったのかしら。けどそんなこと思いたくない。

できていたい。声がきれいに出て、お客さんを虜にできて、ううん、そんなことより人ならざる存在を感じて、わたしの血肉にエクスタシーと魂を注入されたいの。


喉が痛む。きりきりと痛む。

不味い薬と、生姜と大根と蜂蜜とを流しこんで、大好きなチョコレートとアイス、それに牛乳はもう1ヶ月も断っている。この瞬間の時点で、世界でいちばん喉にいい生活を送っているのはわたしじゃないかと、そんなことを、思う。



野菜炒めめいたものは、不味くもなくとりたてて美味くもなく、さっさとわたしの胃袋に飲み込まれていった。ああ生の象徴。


あと1時間と少しもしたら、見たいアニメが始まる。多分、もう少し何かつまみたくなって、悩んで、部屋をうろうろしたりしているうちにアニメの時間になって、そうしたらアニメを見終えて、眠くなって、寝て、明日は日曜日だから目が覚めるまで寝るんだろうと思う。けれどいつかはどうせ目が覚めてしまって、いつも願っているように別の人の人生になっていることも叶わずに、24時間後の今も野菜を炒めているかもしれない。

はぁ。思うだけでため息が出る。

とにかく、そんな寿命更新制で、結局今日を、生き終えようとしている。



*月のお迎えを欲して ふみ