サマー・ピリオッド

   世界が終わるから、夜を見ていようと思った。世界が終わるのを知るのは僕だけで、だから街はいつも通り生活の明かりが灯り、僕だけがそれを切なさを持って見つめていた。夜に会おうと、約束していた。七日後の夜に、会おうって。だから僕はあの子を待っていた。
 あの子に出会ったのは七日前の日のことだった。夏は外聞上店仕舞いを始めていた。とはいえまだじりじりと暑かったけれども、日が暮れると虫たちが風情ある声で求愛をしている声が聞こえるので、やっぱりもう夏ではないのだろうと思った。そんな中で僕という存在はとてもイレギュラーだったし、疎外感で体は硬直しそうだった。
「あら、珍しい。いき遅れ?」

   そんなとき、声をかけてくれたのがあの子だった。
「もう九月よ。お相手、見つからなかったの?」
「違うんだ」

   僕はおそるおそるあの子を見上げて、答えた。
「羽化し遅れ、のほう。さっきしたばかりなんだ」
「へえ! そうなの」
   あの子はにこにことして、誕生日おめでとう、と言ってくれた。それから僕たちは自己紹介をし合った。僕はとっておきの、土の中のトリビアを披露した。実はまだこれ誰にも言ってないんだけど、と前置いて、わたしあと余命一ヶ月だってさっき言われちゃったんだよねとあの子は言った。
 それからというもの、僕たちは、来る日も来る日も会い、お喋りをした。すっかり仲良くなった。僕とあの子は約束をした。どっちが先に死んじゃうか、競争だねとあの子は笑った。僕はえっへんと、僕の方が先に決まってるよと言った。先に最期が来た方の最期には一緒にいようねという約束だった。
 それから七日後のこと、今日。僕の世界が終わるから、夜を見ていようと思った。僕の世界が終わるのを知るのは僕とあの子だけで、だから街はいつも通り生活の明かりが灯り、僕だけがそれを切なさを持って見つめていた。夜に会おうと、約束していた。今晩がヤマのようだ、と僕がおどけて伝えると、あの子は笑って指切りをしてくれた。わかった、じゃあ今晩ね。会いに行くわ、って、穏やかに。
 僕は、羽の様子を気にしながらあの子を待った。ちょっとカッコつけたい気持ちもあった。足を動かしてみたが、まだ十分に動くようだった。大丈夫。多少あの子が遅れても、間に合うだろう。
 僕はあの子を待った。多少も待ったし、もっともっと長い時間を待った。眺めていた夜の街は、次第に寝静まって明かりが少しずつ減っていった。ふんわりと涼しくなっていって、その頃にはもう街灯以外の明かりが全て消えていた。このままじゃ、夜が、明けてしまう。あの子に会えないままお別れになってしまう。僕は羽にぐっと力を込めた。泣いてしまいそうだった。
 そのままそうやって、東の空が白み始めるまで、じっと待っていた。
 どうしたものだろう、と僕は考えた。うすぼんやりとした空の色が、一層うすぼんやりとして見えた。あの子が、約束を破るはずも忘れるはずもないということは分かっていた。それなのに、それならば、どうして。
   空が夜の色を手放すようにして明けゆくさなか、その瞬間、僕に狙い澄ましたようにささやかな雫が降った。昇り始めた日を浴びて、それは光のシャワーみたいだった。冷たいな、それでいて、懐かしい感じがする……そう思うや否や、僕は唐突に分からされた。ああ、そうなのか。そういうことなのか。あの子は来なかったんじゃない。だって約束を果たすべきは僕の方だったのだ。最期には一緒にいようねって。守れなかったのは僕の方なのだ。僕は僕の方が先に決まってるよと言った。あの子は一ヶ月って言ったじゃないか。言ったじゃないか。言ってたじゃないか……! こんなのって、そんな、こんなのって。
   白んだ空が徐々に水色を獲得していく。僕ははっとした。あの子がまだこの瞬間の空気のどこかに、魂として漂っているんじゃないかと、祈りを込めて羽を震わせた。生まれて初めてのなき声だった。空気よ、動かないで、回らないで、流れていかないで。あの子がまだそこにいるのなら。夜の粒子の最後の一粒が消えてしまえばもう、あの子を完全に失ってしまうのだと思った。僕も、世界も。
 僕は羽を一生懸命に、激しく震わせた。いかないで、置いていかないで。全ての粒子を引き止めようとした。九月の空に、蝉の求愛が響いていた。

 

【サマー・ピリオッド】