服従させたかったのかもしれないな、と思う。
身の丈相応に、相応以上に認めろ、だとか。
そういうのは全部「足りなさ」の蓄積が果たした断続的な爆発なのだろう。認めて認めて認めて認めて認めて、いつだって心は叫んでいた認めて。屈して、というのも結局は認められた実感が欲しかったからなのだと想像がつく。せめて、分相応を定めてほしかった。それ以前に、そもそもいつも何かを必死に追いかけるようだった。追いかけていないと疲れるような。子宮で4,5年眠っていたのかもしれない。何とでも言いようはあるけれどつまり、私はどこにいても大人だった。同時に、とても稚拙だった。難しいことを考えることができた。頭はよく回った。周りはいつも一歩かそれ以上引いて「仲良く」の体を取ったし、実際私はひどく退屈だった。たとえば自分以外に手をかけられても私が困ることはそこまでなかったし、出会ってきたなかで歳上の人間に面白味を感じたことも殆どなかった。今では誰もが誰もそうでないと分かるけれど、少なくとも私の身近な(血縁や環境柄身近であることを強いられる)大人は、過ごしてきた時間のぶん知識こそあれ思考力に欠けていた。そして、私はとても幼い顔立ちと声をしていた。稚拙というのはこのことだった。理解ができないことになると、人は私を誤りだって微笑んで、それは幼子を見守る生ぬるさを貼り付けていて、とても不愉快だった。認めて。せめて分相応に。拗らせた絶対的な自己愛と、育まれた自己肯定感の不在は精神にアンバランスをもたらして歪みを招く。あるがままで、頼りになると言われる私と、佇むだけで未熟さを放つ私。見下してきた数々の人と、そんな風にだけはなりたくないと鼓舞する私。当時の年相応に我儘放題でいたかったけれどそれが可能なことを知らなかった私。同一個体の感情を、当たり前のことなのに全てを認識できないこと。
私はまだ激情と変化と、発展の途上にいて、それは誰もが通った道であるとはいえ今この瞬間を、私という人間が口にすることはひどく後ろ指を指されることに感じる。完成されていないと物を語っちゃいけないような。あくまで自分にのみ適応されるむちゃくちゃな理屈は19年の弊害というよりもむしろまさしく結果と言う他ないものである。弊害と言うならまさにこのことが、自分が今までに散々他人を退屈に感じて見下して否定してきたことが招いたという点だろう。自分の中に潜む自分を査定する瞳は厳しい。せめて自分くらい自分を好きで、と言うものの「せめて」なんてとんでもなく、私のような人間は自分に好かれることがとんでもないハードルで、潰しても潰しても全滅しなくて、それでも認めて欲しい、認めさせる、屈させるだけのものを自分が持っているという自負だけは強靭で、ちぐはぐちぐはぐして認められたくて認めさせたくてでも自分が認めて欲しいと思うなんて責められるんじゃないかとも思う。リアリティのないものを嘲って能天気みたいなポエムを拒絶して、人は苦しみを知らないのだな、と思う私を、多分こんなの間違ってはいるのだろうな、と心のどこかで思いながらもそのままの私でいることしかできないでいる。たぶん、私は羨ましいのだ。底抜けに、とてつもなく、身が焦げてしまうほど、羨ましくて悔しいのだ。呑気に生きてられること、絶望を知らずにいられること、死ねない夜を呪う経験がないまま生きていられること、処女みたいにピュアな妄想を書き連ねていられること、帰りたいと思える場所があること家庭があたたかで正常であること、全部全部。羨ましくて仕方なくて素直に羨む余裕なんて到底なくて憎むしかその緩和はなくて、自分が今まで感じた苦しみや辛さと悪夢みたいな経験を列挙して「どうしてあなたはこれだけ苦しんでないの」と詰りたくなる。馬鹿馬鹿しいほど身勝手なのは理屈が分かろうとも感情が受け入れなくて止まない恨み節。まるで私のなれなかったモデルを見せつけられてるみたいに、なんで彼彼女が私じゃないんだどうして彼彼女が私じゃないんだと、泣き喚いて壊れたい気持ちが私を壊さないために否定に逸れる。目に触れるそばからあらゆる人を言葉を否定していく。だから最も厳しい目が私に返ってくる。抜け出す綻びも生まれる隙がないまま、どんどん苦渋は循環していく。そのことが、余計に私を孤独とくっつけておく。私と孤独とを閉じ込めてしまう。私はただ幸せになりたいだけで、幸せになるには生きていなきゃいけなくて、生きていれば他人が目に入って。
私は自分の文章が好きだ。大好き。自分のことなんかより数億倍好き。自分の発想が好き。表現が好き。私しかいない世界なら世界で一番私の文章は最高だと、思う。毎日は寝て過ごすだけでもフラストレーションが溜まり、表現することはいつも私のそばにあった。なんのきっかけもなく、ただ必然性をもって、表現することは私のそばにいた。だから演劇を始めたし、下手だけど歌うことも好きで、文章をまともに書き始めたのは高校を辞めて時間が有り余ったからだけどお話を考えるのはずっと好きだった。中学生のときには初めて二次小説を書いた。手書きでノート2冊分。を、二作品。今読み返してもまあまあ面白い。絶対に迎合しないと強く決めたのは、自分を可愛がりたかったからだ。なんなら媚びは腐るほど売ってきた。もう他人のために何かすることが心から嫌だと思った。自分の好きなことだけを書いた。好きなようにだけ。届く人はほんとに僅か。それでも万人にウケるために自分の嫌いなものを書きたくなかった。希望を与えるもの、愛を持って書くもの、薄っぺらいポエム。うわべ表現が素敵だからといって意味もない言葉を組み合わせるのは絶対に嫌で、どれだけ自信のある表現が生まれても意味不明なものは絶対に使わなかった。認められるために書いてたの? そうじゃない。自分のために書いてて、そのはずだったのに、届く人が少ないことはいつも私をうちのめした。自分がそのことを打ちのめされたと感じたことも、私をうちのめした。好きな人の言葉しか見えないようにした。あと三度生きても書けないような言葉を見るたび自信をなくして、私の放つ文章の手応えにさらに自信をなくして、あってないような元々の自己肯定感はさらに削れていった。私、なんのために書いてたんだっけ? そう思うこと自体が屈辱に感じられて、段々屈辱だと感じるのも疲れるほど削れた。分かりやすい、薄っぺらい(と私が感じる)言葉はよくウケた。私が何を思ったところで、別にその発言者は愛されるわけでどんどん世界から自分が剥離していくのを感じた。もしかして私が間違ってただけで届いたと思っていた人もこういうのが良かったのかな。と思った。でも仮に私が間違っていたところで私にどうすることはできなくて途方に暮れた。
こんな話に面白味はないだろう、と思う。それでも書くしかない。書いて、生きているしかない。生き急いでいる自覚はあって、私は早く大人になりたい。生きた年月の長さだけで、発言や思考で他人を押し潰せる大人。ズルいズルいと思っていた大人に。大人になった私はきっと今の私を笑うんだと思う。あの不愉快な微笑みで、嘲笑するんだと思う。それでも私は大人になりたいのか、いっそ永遠に子どもでいい、とも考えながら、自分の幼い気味の悪い散々陰口を叩かれた声を憎み呪いながら、それでも死なないではいるために私は書くしかない。そう思う。(2018.01.04)

生夏【残暑見舞いネプリボツ作品】

 

 

 

夏をノックして君はやってきた 「ごめんね、お待たせ。探したよ」って

 

 

あの夏に死んどけなかった僕らへの燻る線香で僕以外がまた死ぬ/
あの夏 灼熱地獄に身を投げて(プールサイド) 
死ねなかった僕らのピリオドは空を舞う/
あんな中途半端に水で薄めた絵の具のような青の、バカ正直に雲ひとつない空を見るととても偽物のように思える。その時僕は死ねなかったことを強く思い出すのだ/
空はすこーんと抜けて、あたしたちは剥き出しになった宇宙を見つめていた。人間で言うところの皮膚が剥がれるような痛みらしい。その叫びを、あたしたちは手を繋いで聞いていた。/
青くなければ不幸でいて許されるだろうか。この空が実はそんなものなくて、普段空に遮断されて見えなくなっているその向こうにあるものが露わになっているだけだとしたら? それは何の免罪符だろうか /
耐えかねる暑さの中街に生える星を見る。特等席は歩道橋の真ん中。それは人が生きたり死にそこねたりする光である。心の殺し合いの残骸だ 【ネオン】/
クーラーに守られて息をしているとき、北極のシロクマは僕を知らないし見つめ合えることもない。/夏の湿度の空気の隅で、じっと息を潜めていた。終わるのを待っている。こうして、長い間、ずっと。誰かの一生のように、終わってからは早いのだけど。/
星が僕らを見守るなら、僕らも死ななければならない。/
よく冷えた泡を飲むとき、喉でサイダーがぬるめられるのを感じていた。/
死ねないし世界も救えないのに 地球は僕を振り落とすことのないまま回っている。/
地球がこんなになっても人類は死ねなかった。/
クーラーが肉体を守って心を殺す。すずしいから生きてしまえてしまった。/
癇癪のように叩きつける雨から熱気が放たれている。靴は燃えるようにして濡れていく。自然発火の夢は叶わない。/
君の口の端の泡が引っ込んでいくのを君にバレないようにして見ている。/
花火を見たい。「今度皆で花火大会に行こうよ」メールが届く。そういうことじゃない。/
麦わら帽子でせせらぎを掬えどこぼれてしまって君の元へ着く頃には中にはちいさなごみがかかっていてそんなこと本当に分かっている。/
蚊に刺されて初めてそこに皮膚があったことに気付くそれはいいけどせめて断ってから刺してよねだって普通そんなとこ刺す?/
等圧線がわたしを挟むから脳が捻れて千切れそうだ。/
太陽は白く照ってくれると良い 見過ごしてもいいものをきちんと見過ごせるように/
頼りなく泳ぐ虫網が泳ぎつづけて麦わら帽子だけが小さくなった/
初めての恋人と一度も寝ずに別れてしまったとき、私のこのやわらかさには死ぬまで誰も触れることがないのだと思った【線香花火】/
誰かの生きている痕跡 証 を見ると 夏なのに泣きたくなる 夏なのに/
「あなたが生きてみるというのなら、僕が死んでみせましょうか」「そんなずるいことってあるの」「ずるいって」「どうしてわたしに死なせてくれないの。あなたが生きたらいい」飄々と命を使って僕らは「あなたに死なれないためになら僕くらい死にますよ」「だからあなたはずるいの」「ええ」あなたに生きてもらうためにわたしの死を使ってくれたらいいのに「ああ、ふたり生きるしか術がないようだ」命懸けの命のやり取りで、数えきれない夏を得てしまった 「けれど、あなたが生きるのにわたし以外の命を使うなんてそんなの」 【蝉】/
「はい」「はい、そこ」「あなたに会ってしまったので、死ねなくなりました」「そうですか」「どうしてくれますか」「どうもしないよ、我儘」「けち」「はい」「はい、どうぞ」「明日の夕飯は何にしますか」「そんなことよりアイス食べたくない?」「食べたい」/
不健全な色合いの光によけい温められた夜の色の空気を泳ぐ、僕はさかななので。 身を一捻りするたびに、闇はたぷんと音をたてるのだ。そういう生ぬるさで、あってないような手応えで空気を切りながら、僕は黄金に光り輝く。はたから見たらなんの変化のないまま。しっとりというよりじっとりという重さとしつこさで、僕は海に絡め取られる。口元から夜が入り込み、気管も、肺も、食道も胃も隙間なく夜で埋まる。そうしたとき僕(さかな)の体はとてもキログラムが増えていて、体内は泣き出しそうなほど酸素が濃い。ああ、闇の黒さは酸素の濃さだったのだ、とその時僕は思う。たぷん、たぷん、海に全身を抱かれながら確かに進んでいる、やはり僕はさかなである、なぜなら泳いでいるので、知らないビルの室外機が吐き出す熱風にうげ、と顔をしかめて、ここには幸せしかないとも不幸しかないとも僕は言わないだろう、と僕は思う。たぷん、たぷん、僕はどこへ泳ぐのか。月が意味ありげに、大きさを増して海を照らしている。人々が死にながら生きていると、頭のおかしくなるような熱帯夜が僕のぬめやかな表面を撫でるようにして伝えている。肉体の暴走は、それでも絶対に僕を壊しはしないのだ。狂気の沙汰のような酷暑も。ひどい、と声が漏れる、夜は軽やかに明けてしまう。/
急行列車に乗った各駅停車しか止まらない駅のホームにはたくさんの人たちが汗を吹き出して立っていてこの電車は終末からの避難用で迫り来る猛暑の手からの逃走でそこにいる人たちをまるで置いて行ってしまう気持ちに駆られた罪悪感が瞼をぎゅっとさせた・一瞬で視界から消えてゆかんとするあの細い坂道が見えるあそこをのぼったらきっとできる世界から抜け出すあなたと私で 【ある夏の日の_こと 電車の中の数秒間】/
窓際にかかったボーダーのカーディガン(うすい) 冷やし中華の小さくてまあるい氷(溶けかけて)うなじが海よりもぬれて潮が香ったら夏を引き留めにいこう(風鈴が呼んでる あのときは沈黙を埋めるためだけだったのに)照り返しの強いベランダに氷みたいなグラスを置いたガラスみたいな氷をいれて ひなたが塊を削るようにとかしていくね(ビー玉みたいな世界のありかたを肯定する水飛沫) ヒールの細いミュールを引っかけてあの女性の素足の火照り(それから小麦色のヨットの丈夫なまぼろし)  ああ 夕焼けは太陽が空に溶け出していくみたいだ/
日時計のカウントダウンは騙し合い/
きみはほんとにほどよくない嘘をつくね/
うるせーな。黙って恨まれろよ/
きみを見つめるAときみへ駆け出すBの壮絶なバトル/
リングに中指を装填したなら実質わたしが土星だな/
アイスクリームの溶け方よりはやく いって言って行って生きて/
街は自ら発光している。四角く切り取られた中を、いつもよりもゆっくりと流れながら。そのぺかぺかを閉じ込めて君にあげたい。その味について【手のひらに収まりきらない 日向夏】/水の入ったペットボトルが凄い勢いで凹んでいく。これが終止符かと問う声は震えてしまった。思えば、イヤホンを水没させてしまって夏は始まったのだった。君の陰の中は、ちっとも涼しくなかった。わたしたちは、と鼻腔を象徴で満たして目を細めながら思う。わたしたちは、死ねない星のもとに生まれてしまったね。あの夜がもしかしたら何もかも間違いだったのかもしれないように、そしてもしそうならば命が揺らいでしまうくらいのように、この夏は一から十まで全て間違っていたのかもしれなくて、そうだとしたらわたしたちは生きていくことができないんだけれど、それでもやっぱり死ぬことができないのだ。頭が痛くても泣けなくても君の一番になれなくても、蝉の抜け殻を殺しても縁日は空耳でも濃紺は乾いたプラスチックのようでもあんな人に優しくしちゃってもかき氷が安物でもカブトムシに指をちょん切られても悪意から逃げ忘れても、もう何も食べたくなくてもイルカのお腹が冷たくても目が覚めたら日が沈んでても靴擦れができても手を繋ぎたくなくても、生きていくんだよわたしたち、誰にも見つけられなかったとしても、わたしたちは生きていくんだよ。わたしたちは一生死ねないし、花火ですらわたしのところまでは届いてくれないけれど、それでもわたしたちは元々死ねないように生まれてしまったのだ。日傘のはじけるぱんっ、という音を合図に、何が現れるだろう。深い海の底のような濁りあるいは、大事に持ち帰ったビーチの白い砂が眼球に貼り付くような悪夢か、何にしたって湿潤にうち広がる。そうやって、わたし程度を殺せる鋭ささえ、世界は失っていく。夏の孤独はアンセンチメンタルで、うまくひとりにしてくれないから凶暴だ。耳を、塞いでみようか、どっちにしたって、やっぱりわたしたちは死ぬことができないのだ。

 

秋はそっぽを向いてわたしを永遠に見ない

 

 

8月に忘れ去られる紫陽花の不在に名前[  ]をつけ 高い空

 

 

◇◆◇

 

(以下走り書き作品にならなかったメモたち。夏の終わりぶつ切り感をお楽しみください)

 

オリオンを南半球に蹴っ飛ばしたら

真夏のオリオンを引き寄せてあなたに届けたいよ、首にかけたら似合うとおもうの。
南へ蹴っ飛ばしたのはあたしです。ごめんなさい。
手を繋ぎたくない縁日

特別と伝えることは摂氏40℃の暴力 恋は華氏105度で自然発火 足りないのはあとたった0.55555℃ 体内の水分が干上がってただの不在がわたしの細胞に湛えられていた

夏を搾ると、鮮やかでちょっと青く、酸っぱい匂いがした。爽やかを煽るような香りだ。たった今、この手で搾った。三歩歩けば腐っている

7月の32日に落っこちて ウサギを追いかけあまーい世界へ

エアコンが わたしをひとりにしないから わたしはひとりになれないままで

あなたの命をあたためるうたを歌いたいよ あなたをだって見つけたいよ でもあなたを探すためだけに歌えないよあたし

他人の空似だけどラブレターを書きます。まあ、他人の空似なんだけど。

君の目に僕がうつりうるなら 生きてみてもいいですか

どれがわたしで、どれはわたしではないか、全て完璧に網羅して説明できたらいいのに

死に損なった夜だけ破っていいことにした日めくりカレンダーは地球の自転に忠実な日付を知らせてくれる。

言わなくちゃ。言わなくちゃ。言わなくちゃ。わたしを見つけてくれてありがとうって。

それは、正しい青の探し方。

ラムネ瓶の破片を喉にあてがってすら。

 

 

.

【あとがき サマー・ピリオッドに寄せて】

 

あんなに終わらない地獄かと思われた灼熱の日々も、秋は立派に訪れましたね。現金に、もうあの暑さを思い出せない。搾り尽くすように吐き溜めた言葉たちの真意も、今のわたしにはわからない。この先の人生でも、こんなに夏を切り取れることってないんじゃないかと、本気で思うほどに言葉をかき集めた。及第点が出せなくてボツになりましたが勿体無いなと思うのでここにて回収。今の涼しさ、あるいは寒さの中で見ると当時ほどの発光すら文字から見つかりません。さみしい限りです。季節は移ろっていくのですよねえ

この度は、というには時間が経ちすぎてしまいましたが、暑中見舞いを銘打って挑戦したわたしの初のネットプリント、手に取ってくださった皆さま、本当にありがとうございました。心から感謝いたします。溢れ出すように、とても嬉しく思います。

暑くない、というだけで、一息に、いろいろなことの免罪符を失ってしまったような心地がします。これから厳しい寒さが訪れれば、そんなことも言ってられなくなるのでしょうか。そんなことを言っているうちに、きっと冬も終わって春が来るのでしょう。そうやって四季が巡っていくうちに、人生が進んでいくのでしょう。それは、きっとこうやって言葉にするほど、スムーズなものでは決してないのだろうけど。

願わくば、どんな一過性のものでもいいからわたしの言葉でどこかで何かが生まれたらいいなと思います。きっとそれは幸せなことだろうと思います。

 

余談ですが今日で、短歌を始めてちょうど2年になりました。うまく感慨を引き出せないほど、変に凝り固まってしまっている心を携えて、きっと自分の作品にこれからも沢山ケチをつけて、それでもたまに信じられないほど舞い上がってみたりもすると思います。わたしはわたしを好きになるために、これからもきっと書き続けていくのだろうなと思います、そうであってほしいと願うし、そうしないではいられないだろうとも思います。

そろそろ、ここいらで。

インターネットの宇宙にも似た途方もなさの中で、この場所にたどり着いてくださった天文学的な確率によるみなさまに、愛をこめて。

 

 

まだふみもみず / 夜

2018.10.23.

行かないでマーメイド

海辺に立っていた。

まるで、夢の中で、抽象イメージに潜り込んだかのようにさらさらとした砂浜と、エメラルドグリーンが広がっていた。

わたしはそこにすっくと立ち、熱心に口説かれているようだった。

「きみの生きられる場所を、作るから」

作るも何も、とわたしは返した。今、死んでもいないのに、どうやって新しく。その人はわたしの手を柔らかく握り直して言う。

「きみの酸素は、任せて。きちんと、集めてくるから」

わたしはますます訳がわからなかった。酸素なんて、そこらじゅうにあって、何も困ることはないのに。触れ続けている肌は、摂理みたいにしとりと馴染んだ。ふわふわとして、泣きたくなってしまうような。主に嬉しさで。

「きみの喜びに愛を。きみの命に祝福を。きみの決意に安堵を。きみを取り巻くかなしい棘たちから、きみを見えなくするシェルターを」

そのとき初めて、その声がまるで水底で聞いているみたいだな、と気づいたのだった。ぶわりとした膜を一枚、被せたような音で、頼りなさげに震えてくる声。差し出される言葉は、こんなに強いのに。優しさ以外のものを世界から濾したとしたら、きっとここに行き着くのだろうと思う。

愛を。祝福を。声は続けている。手は相変わらず、あたたかいぬくもりに包まれていた。次第に、手から腕へのぼり、心を絡めとるように、ぬくもりに包まれていく。少し、可笑しくなった。こんな風にして、わたしを絡めとって、どうしようというのか。わたしを骨抜きにして、そのくり抜いた魂も、抜け殻も何の使い道もないというのに。可笑しくて、それでいて、泣いてしまいそうだった。まるで、ここにはぬくもりしかないようだった。この場所に全世界のぬくもりは集められていて、一歩足を踏み出せば這いつくばってもぬくもりを見つけ出せないみたいな。

愛を。祝福を。きみに。そして。

セイレーンはこんな声をしていたんじゃないかと、思いながらその声を聞く。わたしを守る、幸福の呪縛のように続く言葉に、何とは無しに耳を傾けていた。

愛を、祝福を。

 

許しを。

救いを。

 

はっと気がついたときにはエメラルドグリーンをした水たちが天まで立ちのぼり、わたしをぐるりと取り囲んでいた。これが最後なのだ、と唐突に確信しながら耳をすます。

「きみが許されることが許されない世界ならば、そんなの世界なんかじゃない」

急に幼びた声音に、わたしは無意識のうちに言葉を発していた。

「あなたは、誰」

あなたは誰。そして、わたしはそれならば、どうしたらいいの。

「覚えていて。きみのためなら何でもする」

わたしを包み込むようにエメラルドグリーンが落ちてくる。肌に触れる、と思うより先に、まっしろになった。

 

 

 

「……っ」

がばり、と強く起き上がる。まるで大量の水の塊に押し潰されたみたいに、体が重くて、痛んだ。

朦朧とした意識で枕元にスマホを探す。手のひらでつるりと硬い端末を探し当てて、画面を見ると日付と曜日が事務的に記されていた。

日曜日。

またか、と思う。

生涯の大恋愛を終えたみたいに心が満ち溢れていて、あたたかくて眠たげで、心臓が裂けそうな心地。

朝、特別急いで起きる必要のない日曜日、わたしは度々、こうした気分に襲われていた。なんだかとても甘くて、優しくて、

死にたくなるほど、切ない。

夢を見ていたのだと思う。何か、決して忘れちゃいけない大切なものに、ぴたりと触れていたように思う。それなのに、それが何か、本当にあるのかもわからない。ロマンチストぶるわたしの子供じみた精神が生み出す、願望なのかもしれない。でも。

確かにわかるのは、目覚めてはいけなかったということ。夢を見ていたのだとしたら、目が覚めた今の、この世界にいることが間違いで、こんなにも胸を甘くズタズタに引き裂くあの夢の中に、わたしはいるべきだということ。

心臓が膨れ上がって、内側からわたしを責め立てている。喉元を強く押さえてみたけれど、嗚咽はやってこないようだった。無駄かもしれない。

覚醒しきった頭をのろのろと動かすと、部屋の景色が自ずと目に入った。……うん。確かに今は、昨日の延長線上にブレることなく位置しているようだ。寝る前、適当に場所を探して置いた封筒が変わらぬ位置にあることが証拠だった。ゆるゆると天井を仰ぐ。心臓が泣き出していた。現実世界はこっちで、戻ってきたという言葉を使うなら少なくともこっちで、それなのに、わたしは迷子のような気持ちでいる。むしろこの世界に、投げ出されたような心細さに塗り潰される。あの甘やかで力強い、わたしの欲している何かは、どこで触れられるのだろう。その正体がわからないのに、そもそも実在しない何かではないかという気持ちが、強く頭をもたげる。ビターチョコ。レモン、カボス。胸の奥にくすぐったさを残すものを想像してみるが、そんなものとは訳が違った。忘れている記憶をぎゅっと捻られるみたいな、痛くて泣けなくて、泣けなくて泣けなくて気道がひゅっと狭まった。

……わかっている、と呟く。何が。何も。それでも。金曜日のお昼、やりたいことを列挙したことは覚えている。それでもきっと、こんなスタートを切った日曜はきっと、わたがしよりも残酷に一瞬で溶けていく。何一つ、進むことがないまま、無心で体を動かす必要に、きっと迫られていく。明日も、来週も、来月も来年も。

ふと、そわそわそわ、と、内側から心を撫でられる心地がした。溺れたときみたいに、鼻の奥がツンと苦しくなる。わたしは唐突に何かに対して、助けて、と強く思う。

 

.

いつも考えていること

 

快楽を理由に、他人の人生を所有する権利を得られるんだとしたらこの世は偉人で溢れている。それでも、快楽が製造元となって自分が一から作れる小さい人間が発生するんだ。親なんて、みんなろくでもない。そんな魅力的なニンジンを豊かな理性で見守ることができるほど、人間の業は浅くない。だから、人なんてみんなおかしい。ちょっとずつ、あるいは相当に、それぞれ狂ってる。狂ってないって顔を誰もがしていて、そのことが一番気味が悪い。気味が悪くて、滑稽である。

 

多かれ少なかれ、そういう面を親子というものが失うことはできないだろうけれど、彼らは陶酔したかったのだと思う。尊敬されること、自分によって誰かが満たされることで。これは遺伝とかそういう話じゃなくて、親の性質は子も引き継ぐ。潜在意識で触れ続けた人間の人格なのだから。彼らが私にそうしてきたのだから。だから私は求めていたようなアクションを他人から得られなかったとき不愉快になる。それが、そういう業だと気付いている。そのことに、私はとても不愉快になる。

 

不登校三兄弟を独学で京大に入れたとある父親の話を読んだな、ということを思い出す。彼らがやりたかったのは、私の父親がやりたかったことはこれなんだろうなと思いっきり分かってしまう。ただ、この話に出てくる人と彼との決定的な違いがあった。彼は自分の能力を自覚できていなかった。彼に、この父親ほどのポテンシャルは比較にならないほどない。能力の不足した人間が自力で指導者になると、何も教えないより酷いことになる。教えるって、勉強のことじゃない。生きること、考えること、感じること。そういう、迷宮入りしてしまうような事柄たち。そして、彼にとって屈辱的な誤算がもう一つ。
自分を崇めて欲しかった娘が、桁違いに賢かったのだ。

 


二次元が好きだ。都合が良い。どこまでも夢みたいな世界だなと思う。それは、悪い意味の話じゃない。人々の感情がちゃんとそこにあって、それを歪めたり抑圧したりする人間の醜さごと隅々まで存在していて、誰かを愛する気持ちも誰かを憎む気持ちも確かに見えている。感情が存在している。その存在している感情のために、人間らしい葛藤を含めて、言葉にしようとする姿勢がある。平たく言えば、誰かや何かを強く思う気持ちがあって、それを持って進むことを世界が許容している。
ああ、そんなに何も考えていないんだ。感じていないんだ。生きていないんだ。他人と少しでも近づいて接するたび、深い絶望に突き落とされる。地位や名声を持つ人が滔々と何かを説いている。人々は感嘆して頷いている。そんな、私の頭の中に既にあるようなことで感動してんじゃねーよ。
地球が、今生息しているこの次元が、ちいさい。そんなことさえ思う。私は私をとてつもなく、持て余している。

 

 

だから、時々取り返しのつかないくらい虚構の物語に入り込んだとき、私は戻ってこられなくて(それでも戻らないことはできなくて)、その虚しさに死にたくなる。私の生きるこの世界は、なんて野蛮で、粗雑で、軽薄で、蹂躙に満ちているのだろう。
物語を作る人がいる。それだけの世界を生み出せてしまう人間は、それでも同じ世界にいる。私はそのことに救われるべきだと、思う。現に、そうしたクリエイターたちに出会っていなければ私はもっと悲惨な状態だった。

 

救われるべきだ。救われうる価値を持つ。
分かっていて、分かっていてもそれでも、やっぱり生きる術はないのだ、と思ってしまう。
愛なんて、存在しないんじゃないか。
親子はどちらかがどちらかに呑まれてやるしか成立しようがなく、恋人は穴があれば良くて、友人の恋人を前にして私が勝てるものなんて何もない。私に勝たせてもらえるものなんて、何もない。
そうならば、どうして生きなくちゃいけないのだろう。何を理由に。何のために。人類が問い続けてきたであろうことを私個人で提起しても無意味だが、それも分からないで生きるモチベーションを保つなんて無理がある。
だから、何も分からない方がいいのだ。其の場凌ぎの何かが楽しくて幸せで仕方なくて、難しいことはわかんないってセックスをして、「難しいことはわかんない」ってことさえ分からないで。

 

だから、そもそも人の孤独は約束されてしまっているのだろう。いるのは、孤独な人とそうじゃない人ではなく、孤独に気付く人とそうでない人なのだ。

 

痛いところに指を突っ込まれるより、ふわふわとくっつきながら話をする方がずっと楽しい。ずっと楽しくて素敵で満たされる。恋愛感情にリアリティを持てない。子孫を残すための本能的な欲は、少なくとも人並みに機能しているとは思う。それでも、自分に欲情する男を見ると冷めていく。冷え切るほど冷めていく。なんなら楽しくて煽ってみたりするのに、その時は何も嫌悪がないのに。

 

男性の精神に、リアリティが持てない。

 

肉体と対になるところの「精神」に。

女のことならわかるとも思わないけど。私に尊敬した瞳をさせて陶酔したがった父親も、昂ぶって自分の速度で進めていく元彼も、みんな強姦魔みたいだな、と思う。痴漢しておいて、ありがとうって言われてるみたい。気持ち悪くて仕方ない。

 

もっともっと使い古したら、変わるのかな。相性のいいセフレでも探しまくったらいいのかな。そうやってちょっとずついろんなことがどうでも良くなれば、私もバカになれるのかな。

 


こういう風に私は自分の性にがんじがらめにされていて、それなのに時々それを利用する自分に吐きたくなる。重い物を持つことや、激しく疲れてしまうことを、何となく回避させてもらっている。可愛いとか、そういう女性的な魅力だって欲してしまう。

 

性が嫌いだ。性を前にしたとき、相手は私のことなんて見なくなってしまう。だから嫌い。あまつさえ怒られたりする。欲情して眠れないことを責められたときは何周か回って言葉が出なかった。いくらでもAVで抜いてください。

 

それでも誰かに愛されたくて、誰かを大切に思うあたたかくて甘くて優しい気持ちに自分が浸っていたくて、誰かに愛されるに足る人間であると思っていたい。私から言わせれば、友人と恋人にはセックスしか違いがない。相手のことをたくさん考えていたいし、恋人を甘やかすのと同じように友人を喜ばせたい。恋人なら普通くらいの頻度で、友人とコンタクトをとりたい。何が違うのだ。どうして彼氏の束縛はよくて、女友達の友愛は重いと面倒くさがられるのだ。
逆に、どうして友達はそういうことをしないんだろう。もちろん知り合いなら誰とでもしたいわけじゃないけど、したくないような相手は知人とかの枠に放り込んでおくのみだ。

 

セックスしなければ、愛なんて獲得できない。そのことを考えるたび、私はいつも、ああ、一生このまま誰とも深く繋がれないのかな、と思う。そう思って、ぐちゃぐちゃに泣いてしまう。
抵抗もないのだし、痛みも生じないようにできなくはないし、同性と恋人になれないかな。そんなことも考える。何度も何度もそんな気持ちが浮かんでは、結局性別に関わらず愛し愛せる人でなきゃ虚しいだけだ、と思う。
とりあえずとか、顔がタイプとか、フリーだからとか、ナシじゃないからとか、そんな理由で愛を囁けない。そんな不誠実なこと、私の全細胞が拒絶してしまう。誠実であることも、繊細であることも、何らかの形で私を救わないのならとことん無駄だ。こんな風に生まれない方が良かった。

 

思いっきり愛してみたい。思いっきり愛せるほどの人に、出会いたい。私を見つけてと今日も二酸化炭素を吐き出して、やっぱり絶望して泣いてしまう。心を甘く、あたたかく優しくして他人とリンクするなんて、夢の世界の話だ。
バカばっかり、バカばっかり、バカばっかりだ。いつかこんな風に泣かない時が来るのだろうか。愛が実在しないなんて認められない。だってこんなに、私の中にはちゃんとあるのに。

【お題箱 僭越ながら回答編】

https://odaibako.net/detail/request/1c68a688835b48689b9f76fa832ef7a7

 

メッセージくださってありがとうございます。

普段では到底得難い、そのような印象を持ってくださるような、そんな方がネットで私を見つけてくださったことに感動を覚えます。


恥ずかしながら読書量は人並み程度ですが、確かに語彙は本から得ている気がします。あとは高校時代の猛勉強の残骸みたいな……  

 


 以下は機会を得たばかりにいらんことも喋る典型の展開です。

 


まだ言葉になっていない感覚や感情などをあまりにぴたりと言い表せたとき、そのどうしようもない快感が幸福なので言葉を覚えることは楽しいです。わくわくします。


自覚的であることが自分にとっては必要なことだという気がしています。自分の感情について、何が理由で何がどうなってどうだからこうなのか。そういうことに共通していることはなんだろう、じゃあ自分が強く関心を持つのは(≒アイデンティティを委ねているところは)こういった類のことなんじゃないか。なんでこういう発想に自分はなって、他人はならないのだろう。この感覚は何に起因して、どういう方向性のものなのだろう。もちろん自分で解明したことの全てが正解とは限らないけど、それが日々アップデートされていくと自分の中身がつまっていく心地がします。

もっとも、これは努力というより私の短所でもあって、私を苦しめるものでもあるのですが。一度何かに自覚的になってしまうとドミノ倒しのようです。頭がいつも喋っています。少しは休みたい。

人間の感情は一筋縄ではいかないし、おそろしいほど多面的で、死ぬまで自覚できない固有の性質もきっとあるのだろうと思いますが、そのこと自体も自覚する。無知の知と言う通り、やはり自覚は人の精神的成長をスピードアップさせるもののように思います。

もちろん、感覚的に何がどうだとか、わからないけどなんかこうとか、そういうものの魅力も強く感じていたいです。全部ほしい。


とはいえ、肝心なのは、これがあくまで私の領域であるだけということです。

本能に近いところ、つまり感覚や感情をベースにする人

論理的思考能力にステータスを全振りし、大量の知識を系統づけることに長けた人

それぞれの比率は各々だけど、陳腐な言い方をしたら個性なのだと思います

私はおとぎ話のコウモリのようにどっちにもなれず、またどちらとも共存ができず、こんな宙ぶらりんでいるので。

稀有なことに質問者様は「頭の良い言葉」と表現してくださいましたが、私みたいなものは愚かだと笑う人も実際よく遭遇します幸か不幸かおとといきやがれ


結局なにかというと、私はただ単にロマンチストなのだと思います。しかも相当過激な。それ以上もそれ以下もなく。


私がフォローしている方々におかれましては、もちろんいろいろなタイプの方がいますけれども、そのどなたにも及ばないなという気持ちでいます。これからも精進する必要がありますし、していくつもりでもありますが、どうかこれからも見守っていただけたら嬉しいです。

 


蛇足ですが私が心から惹かれる小説を書く方は、辻村深月氏とよしもとばなな氏です。ばっちり一緒の人がいたらそれはもう絶対に運命。話が合ってしまいすぎて困りそう。なんて。

 

 

追伸

その人自身の世界の本質を突くことができるのはあくまでその人の言葉のみで、語彙はあくまでその手段です。難解な言葉である必要性はありません。その人が愛し扱える言葉であれば誰かにレベルをジャッジされる謂れはないのです。ふと思い出すことがあったので、補足まで。

 

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げんじつは、美人の書いたつまらない文章にいいねが殺到するのでしびあーなひげんじつで生きていたい しびあーで構わないので そんな本質からずれたところで評価されるくらいなら真っ当にこき下ろされた方がましだ

門番はアルタイル

 記憶を頼りに訪れたその場所は、どうやら正解のようだった。満天の星がそう告げていた。都会から外れ、人工の明かりはほとんどない。道中にあった民家も、目的地に近づくにつれ少なくなっていた。
(……から、……は……んだよ)
 目に涙が滲む。この場所を教えてくれた人は、もうわたしのそばにいない。元気にしてるだろうかと思う。元気にしていてほしいと思う。それでいて、実はもういなかったとしてもそれでいいなんて思う。訃報なんて、一生届かなくていい。生きていても、そうでなくても、全てわたしの知らないところでーー思い出に縋れるままで。それくらい、大切な人だった。
 初めてここに来るまで、空にこんなに星があるなんて知らなかった。夜空がこんなに黒いということも。東京の空は昼も夜も白く濁っている。わたしはあのときもそうしたように、そっと地面に寝そべった。首が辛いでしょう、とあの人が笑っていたことを覚えていた。
 地面は乾いていたけれど、どこかしっとりとして優しかった。深呼吸をすると、土の匂いがした。鼻や、耳の穴から、夜が入り込んでくるような感覚がした。そうしたら、たぶん大地に抱かれて、わたしはとても満ち足りるだろうと思った。やわらかい草が、わたしの素肌に触れて少しチクチクとした。空はきちんと黒くて、暗くて、星は自ら発光してるわけでもないのになぜだか星空が目にしみる。空を埋めるように散らばる光。手を伸ばしても、走り出しても、決して届くことのない光。控えめに漏れてしまって、本当は漏れるはずですらなかったような光。こんなに星がある。宇宙には、こんなに星がある。こんなにたくさんある星の、お互いの距離はさらに離れていて、そこを巡るにはたぶん途方もない時間がかかって、それなのにまだ死んでない見えていない星だってあって。そのひとつひとつが、地球とか月みたいに大きくて、もちろん戸建てが何億個ぶんとかの大きさで、ああ、ああ。わたしには一日が二十四時間、一年が三百六十五日与えられていて、少しも余裕がないまま生きているのに、光はそんなの横目にして通り過ぎて生きている。わたしは結構いっぱいいっぱいに体を使って、いっぱいいっぱいに時間を使って生きているのに、わたしの知らない、一生かけても見られない場所がたくさん、こんなにたくさんある。目眩がしそうだ。それなのに、わたしはこんなにくらくらしそうなのに、星たちときたらきっとそんな自覚もなくあんなに美しいのだ。空だけでも、きっとわたしはその広さをきちんと分かれていないというのに。そこを埋める星たちときたら、なんてことだろう。こんなものがあるから、とわたしは八つ当たりのように思う。こんなものがあるから、こんなに、きれいな世界を知ってしまうから、だからわたしは。


 「落ちてきそうでしょう?」
 まだ青かったわたしに、あの人はそう言った。わたしもそう言おうとした! 上ずった声で、わたしは答えた。
「こうして見ると、ここは監獄みたいでしょう?」
「監獄?」
「そう。あんなにたくさんの星たちに睨まれて」
「睨んでいるの?」
「どうかな。でも見つめられてはいる、少なくとも」
 わたしはあの人の声が、とても好きだったのだと思う。星が流れるとき、きっとあの人の声みたいに、ほんの少しざらっとして、心掬うような音がするのだと、わたしは思っている。
「落ちてきそうだね。全部」
「それさっきも言ったよ」
「きれいだ」
すごく、きれいだ。きれいだ。本当に、きれいだ。あの人は強く、強く強くそう言った。泣きそうな声だった。わたしは泣かないで、と思いながら、わたしもなぜか泣いてしまいそうになった。そうだね。本当にきれいだ。本当にきれいだね。本当にきれいだよ。
「檻みたいだって、思うんだよ。星に閉じ込められているみたいだ。この世界を、星が囲んで、出られなくしているみたいだ」
「……出たいの? 嫌いなの、星?」
「そんなことないよ」
あの人は弱々しく答えた。本当に弱々しくて、それでも幸福そうに見えた。
「こんな美しいものに、囲まれて阻まれているなら、その外がどんなに素晴らしくてもここから出られなくていいかな、って思うよ。だから、きみも」
 死にたくなったとき、死ねないことを責めなくていい。
 この世界はこんなに美しいんだから、きみは死ねなくたって何も悪くないんだよ。


 瞼が洪水を起こしたように濡れていた。そうだね、この世界は星の檻でできているね。そう思った。あの人が今ここに現れたりだなんて、そういうドラマティックな展開があり得ないことは分かっていたし、そもそももう会えないのだろうとも分かっていた。それでも、どうかここであの人に会いませんように、と願った。わたしがここに来たということが分かったら、あの人はきっと分かってしまう。あのとききっとあの人が思っていたことをわたしが今思っているということを、分かってしまう。そしたらあの人はきっと、優しく、困ったように笑う。そんな顔をさせたくない。
 空を埋め尽くす星たちの光が、幻想にすぎないけれど迫ってくる。あなたはわたしを見張っているの、守っているの。わたしは弱々しく笑う。きれいだ、本当にきれいだ。わたしをこんな世界に留めておくのはあなたね。馬鹿げていると知りながらそっと空へ手を伸ばしてみる。それでも、死ねなくていいのね。悪いのはきれいなあなたたちよね。そうだよ、とあの人の声が、記憶の中で鳴って、わたしの脳を震わせる。背中が冷たくて、体を起こした。拳をぎゅっと握りしめて、星を掴んだ気になってみる。わたしが生きるのなんて、あなたのせいだからね。頰を流れる涙を、星の光がなぞる。

 

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お題「この世界は星の檻で出来ている」

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