しつこいよ、というくらい言っていたことだけど、わたしの名前は百人一首からとった名前です。聞かれてもいないのに名前の由来を話すのが好きでした。音といい、ひらがなのときのシルエットといい、そして漢字といい、この世で一番すてきな名前だと思っていました。

 

気がつけばその音を向けられる機会はめっきり少なくなり、新たに知り合った人々が呼ぶ音はとても「人と関わっている」感覚に満ちてどきどきと、ふわふわと、くすぐったいものがあるけれど、所詮それは「本物のわたしの音」ではないのであり、「あだ名で呼ばれるような友だちのいる自分」と「名前そのものを呼んでもらえない自分」にすれ違いが生じていました。

 

 

この前、久しぶりに横浜へ行った。

かつてほんの少しだけ住んでいた街。けれど、記憶なんてないに等しい街。

そこに、わたしのお世話になる先生がいました。

わたしを幼い頃から知るという人でした。わたしの両親と、もう長い付き合いになるという人でした。

「君の両親は、」

先生は言いました。

「君を大切にはしているけど、愛してはいない」

大切にしようとする気持ちと、愛する気持ち。一見共存しえないような、逆説的な言葉だったけれどわたしはすとんと腑に落ちた。

 

両親がわたしに与えてきたものの全てを、否定していくように生きてきました。

最後の砦が、わたしの音でした。百人一首からとった、わたしの名前。大好きなお気に入りの、名前。

わたしはわたしの名が大好きでした。世界でこれよりもすてきな名前はないと強く感じてきました。

 

 

わたしの名前の向こうに、ハンドルネームの「ふみ」という音があって、それもまた、わたしにとってはすてきで愛しくて最高の音でした。

 

 

 

わたしがわたしの名前から、音から、離れたのはいつからなのか、遡っても分からないし、分かったところでという思いでその先はありません。

 

わたしは何者なのか、

ただわからなくて、探す意図もなく、わたしはただ、今のわたしに一番関わるものの名前を、便宜上の名としました。

 

 

まだふみもみずも、真珠のおどり子も、ふみも、夜も、全て呼ばれたらわたしを指す名詞として会話を進めるけれど、

結局のところどれもわたしではないし、同時にわたしでもある、ということなのでしょう。

 

 

耳元まで深く、闇が広がっていました。

地面はでこぼこして、その水位は頻繁に違う箇所に跡を残しました。

自分をわからないまま、海よりも歩きにくいそのなかで、浸って、沈んで、それでも、生きていくということ。

 

冬の冷えた空気は、わたしの心をあたためます。

地元では、師走に入り雪も本気を出してきたようです。

夜の匂い。冬の、夜の匂い。

生かされていると言うのが傲慢だしても、ここに、生きてしまっているということは事実としてただあるのでした。

 

かつて少女たちは誰か。と願いました。実在しない紙の上で、誰か。わたしたちを見ていて。今ここで、わたしたちが生きていることを、誰か見ていて。

そのとき漠然と受け止めていた一文字一文字を、今になると激しく鮮烈に、皮膚を切り裂く鋭さで、きっと知るのだろうなと思う。

同時に、名前の似通ったあの二人の少女のことを、共有できる人もまたいないのだろうということを。

 

 

埋没していくことは、最初からなかったことと同じで わたしたちは恐れているのだろうな、と思います。

自分が何者であるのか、それを与えてくれたことは、奇しくもそれを奪ったものでもありました。

 

 

焦げたベーコンをかきこんだ深夜、ぼろぼろとした炭が咳を誘う。わたしのiPhoneがそろそろ潮時のようです。