最近「うつくしい世界を書かねば」という思いがありうーんといったところだったけど、そこに縛られるのはやめようと思いました
なぜなら世界はうつくしくないからです。
ただ、わたしは自らが表現者なるべくして生まれた身であるかのような初期装備を持ち合わせたことに、━━言うなれば痛みや苦みや不具合を人の何倍も敏感に感じ取ってしまう、地球をも通るサイズの網目を持ったザルのように━━ここで敢えて誇りと呼んで、排除の方向こそを排除しようと思うのです。
世界はうつくしいものじゃありません。
でも、うつくしい瞬間というのはあります。うつくしく見てみる方法だってあります。
世界を解析してみるように生きながら、わたしはそのひとピースごとに、泣いてしまいます。
「なんで」
二酸化炭素と同じ頻度で吐くきもちです。
好奇心からくる疑問ではなく、理解できてはいけない、耐えられないといったニュアンスの伴う3音です。
世界はうつくしくない。
けれど、生きなくちゃいけない。だって、うつくしく目に映す瞬間の価値を、わたしは噛み締めたいので。
20171129