微妙に続きでもありますが。


ああいう心打たれる文章を読んでいると、「連絡しなきゃ」という気持ちに駆られるんですよね。


そうじゃなくても言うじゃないですか、

「同じ時代を生きてることが奇跡。いつでも連絡とれるなんて思わない方がいい。今しかないかもしれないじゃないか」


わかります理屈はね。わかるんです。

でもね。そうそう理想通りに物事が運ぶわけないじゃないですか。


だってわたし、そうね、個人個人違いはあるでしょうけど、恋人と別れるときは縁の切れ目と思っています。わたしがする、という観点で言えば(だから他人がそうするのは全く無関心ですが)友達に戻るとか、はっきり言って無理です。気持ち悪い。

だから、そう、上記のような心の揺れで、元彼とかが連絡してきたらキレます。暴れます。そう、わたしは気性がかなり荒い人間なので。苛立ちがやばいときは、平気で物を投げたり(もちろん人がいないときにいない方向へ)します。これが男だったら女性向けサイトで「DV男の前兆?! 避けるべき彼氏候補の特徴」とかって記事で特集されちゃう性格ですよね。


話が逸れました。


だからそう、いくら大事な人、いつ会えなくなるか確かに神のみぞ知る、というところでしょうけれども、そう簡単に連絡なんて、とれないものじゃないですか?

それにだってわたし、ご覧の通りクソ生意気なガキでございますのよ。(言葉が汚いのは勘弁してください)

わたしの連絡とりたくなる相手なんてどうせ同じ年代に決まってるじゃないですか。10代相手に10代が「ごめん、なんか急に連絡したくなって。元気してる? うん、なんかね。いつでも会えると思ってたら痛い目会う気がして。」とか連絡するの、想像してみてください!?


向こうドン引きでしょ。


気持ち悪。とか思われますわよ。


それでも度々考えます、大事な人がいきなり死ぬとか、いきなり音信不通になるとか、とにかくわたしの世界から消えてしまうことを。ありませんようにと願うからこそ、想像するのです。


そもそも、わたしにとって大事な人、そういう、「連絡しなきゃ」という心の揺れ方をしたとき、思い浮かぶのはただ一人です。なんてったって、家族には愛想を尽かしていますし、恋愛感情というものにもすっかりリアリティを感じられなくなって参りました(まだピッチピチの10代なのに!)。

わたしの大事な人は、わたしを大事な人では別にありません。その人にはその人の世界があります。

わたしに向いているのは、その世界の中で本人に貢献することではなく、その世界の外からその世界を壊さないようにすることです。

わたしが大切な人と認識している事実すら、知らせたくありません。知らせてはいけないと思います。

そんな相手に、「ごめん、なんか急に連絡したくなって〜(略)」なんて誰ができるでしょうか。ね。世界ってそんな上手くできてないのよ。


わたしは捻くれているものですから、わたしが大切に思う人がわたしをさして大切に思ってるでもない、ということを受け入れるのにも、随分時間がかかりました。やっと、呑み込めそうなんです。やっと割り切れそうなところまできたんです。この道はわたしが必死に切り拓いてきたものなんです。それをやすやすと壊すことなんてできません。


10代×女子のコラボは大変面倒です。

わたしたちは常に「選ばれること」に振り回されています。

彼氏ができたよと報告される相手として。

Twitterのサブ垢、裏垢、新垢に、フォローされる相手として。

困ったときに相談する友達の、相手として。

これは結構に、面倒だけれども重要な問題なのです、わたしたちにとっては。

選ばれたいんです。それだけが免罪符なんです。


わたしは部屋の引き出しからテキトーに引っ張り出した一枚の紙を、テキトーに破ってクレヨンで「め ん ざ い ふ」と書きました。紺のクレヨンです。よれよれの字になりました。

わたしはそれを強く手の中に握りしめています。汗で滲んで、それにもうすっかりぐしゃぐしゃです。ゴミみたいです。


しかし免罪符を請うことは相手に非常にストレスを与えます。不快感にだってなり得ます。わたしはその不快感を知ってしまっています。強く、刻まれてしまっています。あれを他人に、ましてや自分の大事な人に押し付けるなんて、まっぴらごめんです。



ちなみにカラオケの十八番は、小林明子さんの恋に落ちて。

ダイヤル回して手を止めた、なんて、頭の中では日常茶飯事です。頭の中ではね。


30くらいになれば、「連絡とれるときにとっておきたいって思い立って」って理由で連絡しても許されるのかな。だとしたらそのときまで細々とであれ縁を繋いでおかなくちゃ。そんなことを考えます。

それならいっそう、多感なティーンエイジャーに任せて世界と世界の境界を強引に混ぜることは躊躇われます。わたしの大事な人、わたしの影響をまったく受けず、ああいい毎日を過ごしているといいなあ。

そばで見守れないのは悲しい? 自分が幸せにしたくないの?

とんでもない。

影響できるほど近くにいて、わたしが不幸にしてしまうくらいならよっぽどこれでいい。

自分でふしあわせにしてしまったなら、もう罪悪感で縁を溶かしてしまうでしょう。

30になっても縁が繋がっていたいから、今夜だってダイヤル回して、手を止めるんです。頭の中で、ね。