夜な夜な考える。
ううん。夜だけじゃない。いつも考えている。目が覚めて、のっそりと体を起こして、トイレから出てきた瞬間から。髪の毛を留めて、パフで頰を抑えているとき。部屋を出る瞬間。電車を待つ時間。電車から外を見るとき。あるく、とき。
考えていないときなんか、ない。いつもいつも、わたしの脳みそがお口チャックすることなんか、あり得ない。
いつも考えている。考えるという行為を考えている。鳴り止まない脳みそのお喋りを、持て余すことについて考えている。
何もしなくたって、1日は終わる。
24時間の大半を睡眠で過ごすわたしは、1日が終わるのがやけに早く感じる。
1日が長いとか、辛いとか、苦しいとか。
そういうことを、感じなくたって365日が着実に進んでいくのだ。と、そう、気づく。
世界中の誰よりも、時間を無駄遣いしている感覚。贅沢だな、という感想からくる罪悪感なんてない。脳が空っぽになることなんて一瞬たりともあり得ないのに、心はたやすく空っぽになる。
展望がつくことが好きだ。
なんでもかんでも、見通しをつけたがる。秒単位でも分単位でも年単位でもいい。ぽんぽんぽんと、こうしてああしてああなるんだと、そう、スケジューリングしてはじめて、一息がつける気がしている。
もっとも、そんな物事って、ないに等しいのだけど。
一朝一夕でカタのつくことなんて存在しなくて、だから生きる意味があるというのに、さくっと先の展望が読めないことにはすぐにやる気をなくす。そんなことをしてたらやる気を持てるものをなくす。そうね、だからわたしは毎日何もしていないと言える。
不安な道が、不安なのだろう。そう、思う。
不安な道じゃない道なんてない。それに少なくとも、17年はそこを歩いてきたはずだ。それでも確約されていると、錯覚していたんだろう。
100点、100点、96点。
順位表、わざわざ見に行かない自分、知らない人がわたしをそこで知り、そのまま見慣れられる。なんちゃって進学校。美大のオープンキャンパスでさえ、名前の知られていた高校。成績表。4がひとつ。順位は1桁。つまらない生徒。頭の中では、今日のタスクの整理と、それにうんざり。たった一度きりの、でも大事にお守りにしようと思っていたのに無くした、東大のB判定。「特にやりたいこともありません」それでもてっぺんだし東大にしとけばいいと言う、つまらない教師。
◯◯ちゃんはやらなくてもできるからいいよねー、と、キャッキャ騒がしい生徒。
あの頃は、あの頃といってもほんの1、2年前に過ぎないけれど、あの頃はなんの不安もなかった。不安を抱く暇すらなかった、それも正しい。
まあ、東大は無理だろうけど、歴史科目無理だし、でもまあやったらどうにかなるかもしれない、なんにしてもそれなりの大学には入れるだろうし__なんなら受験勉強なんか楽しみだ。せっかく県内ではトップの高校にきたのに生徒の大半はくだらない、大学まで行けばやっと満たされる気がする__そんなあの頃。
あの頃わたしは無敵だった。多分今のないものねだりでそう思うのだろう、当時はそんなこととんでもなかった。
家でもクラスでも部活でも他校の彼氏でも安心できる場所なんてない。気を許せるのは他校の、それに高校になってから知り合った友人のそれもほんの数名で、それでも分かっていた、逃避みたいにして、彼女らは距離が近ければ、例えば同じ高校だったら、彼女らともまた、仲良くなんかできなかった。ちがうね、なれなかった、だ。
それでも今のわたしがあの頃のわたしに教えてやれることは少しだけ、ある。
唯一なんてない。
この居場所を失えば、もう生きていく場所がない。そんなことなんて、ない。
先の見通しは、つかないけど。
次の居場所が見つかるのに、時間がかかっても、その空白は死ぬほどつらくても、世界はわたしを永遠にひとりにすることはない。そういう仕組みにできているから。
もっとも、それにしたって帰る場所というのはあるはずなのだけど大半は、家とか家族とかそういうものが、それでも世の中には無理というものが存在する。
日本語なのに言葉の通じない人も、こちらがどれだけ骨を折ろうと対峙の仕方を知らない人も、いる。そういう人間から遺伝子を分け与えられたことは同時に屈辱でしかないけれど、泣いて喉を潰しても変えられない真実であるのもまた事実だ。
たまに、神さまはケアレスミスをやらかしたりする。
わたしはわたしの思考回路が、平均に比べてやや勝るという点に幾度となく救われているし感謝もしている。しかし、それにしても、時々嫌になる。身内を見渡して。
かんがえる、りかいする、そういう能力の配分を神さまがしていたとして、この一家には配分を忘れてしまっていたとでも言うように、わたしが生まれる前、気づいて慌ててぶち込んだとでも言うように。それだったら神さま、とわたしは思う。忘れたまんまでもよかったのにさ。なにもわからないまま、例え恵まれない状態であったとしても自覚できないまま、へらっへら笑っていられたのに。何が楽しいのかわからないクラスメイトの会話に笑えて、肩を並べて歩きたい人に「ふみは私と違って賢いから」と壁を作られることもなく。神さま、あんたわかるか。自分の親に「難しくて言ってることがわからない」って言われる屈辱がわかるか。
海岸線があんなめちゃめちゃのように、神さまは時々寝こけながら世界をつくる。そのタイミングの気ままさたるや、なんてことだろうねほんと。
考える。
考えるという行為について考える。
運命みたいなものとして、考えることを考えるという行為をする。
わたしの頭の中は、いつも混沌として、しかし同時にひどく整然としてもいる。
そんなことを、意識しなくて済むように、わたしはまたあの頃のようになんの暇もない毎日を想像する。やめとけ、と思う。
わたしは頑張るべき道を他に見ている。やりたいことがある。そのことをとても、幸福なことだと感じている。
勉強だけの日々も、馬鹿な人間の操り人形みたいな毎日も、確かに今のわたしを確実に構成してはいるけれど、これからも必要な時間ではない。
考える。
考えることを考えて考えながら、ふと読んだある人のブログにわたしは救われた気持ちになる。
はあ、考えよ。そんな気持ちになる。
どうせ制御できるものでもないんだから、明日も明後日も、わたしは考える。考えてわたしをアップデートする。夜の積み重ねに、カンパイ。