ホット・ハニー・ウォーター «1»

 「ハロー、愛しいママのマイスウィートガール」と、ママはあたしが目覚めるたびに、おでこへの口づけと共にそう言う。子供ながらになんだか破綻した言語じゃないかとは思うのだが、物心ついたころにはこの儀式は始まっていたので、これがないと一日が新しくなった気がしないのだ。お決まりの儀式において、ママは続けて、こう話す。
「ハニーが目覚めたからやっと世界が起きるわね。まったく、もう、世界ったら! あなたがいないと地球を回すこともできないんだから!」
この歳になるとあたしも、どうやらママは親バカというものらしいということが分かるようになってきたけれど、そうは言っても、十年も言われ続けていると刷り込みみたいなもので、あたしは毎朝このママの言葉をとても素直な気持ちで聞いている。
 都会の人ゴミたちのベッドタウン(人混み、じゃなくて人ゴミ、なのだとママが言っていた)に住んでいるあたしは、森林浴というものをしたことはないけれど、朝の儀式の時のママは、とても森林浴みたいだと思う。あたしが寝息で吐き出した空気を全部吸い込んでうっとりするかのような、そんな文字の吐き出し方をする。たっぷりとした息継ぎや喋るスピードはあたしの知る限り常に一定で、きっと声を合わせようと思ったら容易くできるのだと思う。
 朝ごはんは、基本的にトーストと目玉焼き。ママに余裕があるとサラダもつく。休日はそこへスープも並ぶという仕様だ。前、クラスの子に話したら「飽きないの?」とびっくりされたけど、全然そんなことはない。だって、トーストにはママがおばあちゃん家から送られてきた季節の果物で作ってくれたジャムがあるし、それに、ママが淹れる紅茶はとびっきりおいしいのだ。ママがオシャレなカップで、透き通った琥珀色の紅茶を飲むのがとてもうっとりした絵に見えて、あたしは10歳になったのをきっかけに牛乳を入れてもらうのを卒業した。あたしの誕生日にそのことを伝えると、ママは微笑んで、お仕事の帰りにママのに似たお上品なカップをあたし専用に買ってきてくれた。
 メニューに飽きはしないけれど、女の子とて育ち盛り。実は、家を出る時間にはお腹が空いてしまう。授業中にお腹がぎゅるぎゅる鳴ってしまうと、とても恥ずかしい。授業と授業の合間、教室では女の子たちが互いに「お腹鳴っちゃった」「恥ずかしい」「えー聞こえなかったよ」「あんまり他人には聞こえないものだよね」と言い合うのだけど、恥ずかしがる側と慰める側はいつもくるくる入れ替わっているのできっと嘘なんだと思っている。だから、あたしはこっそり、夜のうちに余ったお米でおにぎりを一個つくり、朝、教室についてからもぎゅもぎゅと食べている。

 

 あたしはママと二人暮らし。ママはよくパパの話をする。「常夏のような人だった」のだそうだ。あたしは、そりゃそうだと思う。だってママはいつだってお花畑を走り回っている、『トコ春』のような人だから。秋みたいな人にママはうるさすぎるだろうし、冬みたいな人だったらママは枯れてしまう。

 ママは言う。
「ミント園でね、パパと出会ったのよ、ぽくないでしょう? ママはミントのお勉強に行ったの。あれ、このミントなんだったかしらと思ってね、ちょっと困っていたら『それはチョコレートミントって言うんですよ』って。それがパパだったわ。頭上から声がしてびっくりして、ママったらミントの神さまがママに話しかけてきたんだと思っちゃった。それが誰かってパパだったでしょう。まさか真っ黒に日焼けしたアロハシャツが似合いそうな風貌だと思わなくって、『本当にミントの神さまなんですか?』って聞いちゃったの。あのときのあの人の顔ったら! ママはね、あんなに『ぽかん』って音が似合いそうな顔を見たことがないわ!
 それでね、よくよく話してみたら、彼は普段、ミントになんか全然興味がないらしいの。チョコレートミントも、たまたま新聞で見かけたのをその瞬間に思い出したんですって。その日突然ミント園に行かなくちゃいけない気持ちに駆られたのだと言って笑った。ママ、それで恋に落ちたわ。まさしく運命ってこのことよね」
ひとしきり語ると、ママはふうと息をついた。そしてしみじみと、「とっても、すてきな人よ」と言った。
 あたしはパパさんのことを、ママの話でしか知らない。こんなにラブラブに思える二人が、どうして一緒に暮らしていないのか、あたしはずっと知りそびれている。なんだか聞いちゃいけない気がして。それに、知っておく必要のあることならママから勝手に話してくれるだろうと高を括っているところもある。だから、あたしはひっそりとその理由を考えてみるのだ。リコンかな。パパはもうこの世にいないのかな。それとも、遠くでお仕事してるのかな。いつのまにか、夜寝るときに目を瞑ってそれを考えるのが日課になっていて、パターンは今や1658にのぼる。もしかしたら、いつか話をされたとしてもあたしの想像のどれかと丸かぶりしてくるんじゃないかと思う。

 

 今日の5時間目は体育だった。あたしはサッカーが得意だったから、男の子に混ざってゲームをした。「放課後野球やるけどお前も来いよ」と言われた。あたしは丁寧に断った。得意なのは、サッカーだけなのだ。
 運動着はところどころ泥がついたので、あたしはみんなでさようならをした後に水道でちょぴちょぴと水をつけて擦った。あんまり濡らしてしまうと、持ち帰るのが重くなるから水の量を見極めなくちゃいけない。どうせ洗剤をつけないと落ちないのだが、ママから言われたわけでもないけどこれはなんとなくあたしの意地だった。
 体育着の汚れに納得がいって、ハンカチで濡れた手を拭くと、待たせていたエミちゃんのもとへ走った。エミちゃんはやさしい。「ごめん」と言うと、「うん」と歯を出して笑った。
「お腹すいたなー」
エミちゃんが靴を履き替えながら言った。
「うん」
と、あたしも靴紐を結びながら言う。まだおろして間もない靴だ。これを買うとき、ママは「大丈夫? ちゃんと結べる?」と心配したけど、あたしは必死に説得した。靴紐を結ぶクツって、なんかカッコいいから。
「お腹すいたなー」
「ねー」
歩きながらあたしたちは話した。帰り道は、いつもお腹すいたねと話すけど、5時間目に体育がある日はエミちゃんの「お腹すいたなー」がちょっと増える。あたしが頷くときの力のこもり度合いも、ちょっと強くなる。
「つばきはすごかったねえ」
「サッカー?」
「うん。男子に混ざれるなんてすごいなあ」
「楽しいよ。エミちゃんも今度混ざってみる?」
「えー。無理だよ。だって怖いもん」
「そうかな。大丈夫だよ」
「エミは絶対変なところにボール蹴っちゃう。男子ってキレるじゃん」
「そっかあ」
「ハセガワとか、マジになってキレそう」
「あー」
エミちゃんが足元にあった石ころを蹴っ飛ばした。ころころと頼りなげに転がって、2メートルくらい先で止まった。今度はあたしが蹴る。止まる。エミちゃんが蹴る。止まる。
「女子は女子で下手なりに楽しいけどね」
エミちゃんが言う。

 帰り道の途中にある駄菓子屋で、エミちゃんが「今日は本当に我慢できない」と立ち止まった。もちろん、買い食いは学校で禁止だけど、そのことについては「生徒が帰りに飢え死にしちゃったらどうするの」と一蹴する。あたしたちにとって、いつものことだ。時々、「なんとしても買う」と言い出すのがあたしになったり、「忍耐の修行でござるよ」と止めるのがエミちゃんになったりもする。
 結局、先生に見つかったら怖いあたしたちは(こんなの見つかるなんて学校の先生はどこまで監視しているのだろう、もしかしてお風呂に入っているかどうかまで監視しているんじゃないの、)そのお決まりのコントを実現させたことはない。扉の一部がガラスになっているところから、奥に座っているおばあさんと目が合わないように気をつけながら中を睨むのが精一杯だ。けどあたしは、おばあさんは気づいてるんじゃないかと思っている。

 しばらく駄菓子屋をのぞいて、それからちょっと足元の草を抜いてみたり、今日の教頭先生の後ろ姿について話してみたりしたのち、そこでエミちゃんとはバイバイになる。
「お腹すいたなー」
本日最後のお腹すいたなーを発動しつつエミちゃんは言う。
「また明日ね、つばき」
「ばいばい、エミちゃん」
あたしは手を振る。

 

 つばきという名前にならなかったら、蝶々という名前にするつもりだったとママから聞いた。必死に止めたのはおばあちゃんだったという。ひらひらしたママらしい名前だと思うけど、あたしは小さいときに一回だけ会ったおばあちゃんに感謝している。蝶々はさすがに、いじられそうで怖い。

 おばあちゃんが説得を成し遂げるまで、ママは頑なに蝶々を譲らなかったのだが、ある日突然に、けろっと「つばきにするから」と言い出したそうだ。あたしはこの名前が特別嫌いではないけれど、少し不思議に思う。というのは、「これがつばきの花よ」とママが写真を見せてくれたとき、ママのうららかな春のイメージと全く遠かったからだ。写真の中の真っ赤な花は、なんだか世界(ママが言うところのあたしが目覚めなければ目を覚ますことのできない世界)からとても浮いて見えた。ママは、はちみつみたいなやわらかさの声をしていて、あたしをハニーだとかマイスウィートだとか呼ぶ。あたしはその呼び方が、ママの声にぴったりな気がして安心する。一度だけ、椿の葉を実物で見たことがある。固くてつるつるした、椿の葉。ママは、何を望んであたしにこの名を託したのだろう。

 

 エミちゃんとばいばいしてからの方が、あたしの帰り道は長い。自転車が使えるといいのにねとママは言うけど、あたしは案外この時間が嫌いではない。もちろん、早く家に着いたら早くおやつを食べられるのにな、とは思うけど。中学生になったら自転車通学ができるのだそうだ。あたしはそれを、実はほんのちょっぴり楽しみにしている。ママはそれに合わせて新しい自転車を買ってあげるよと言った。近所のお姉さんが着ている制服を、自分が着ることを考えるととてもちぐはぐして可笑しかったけど、今の六年生が着ることを想像しても変な感じがした。たぶん、あれが似合うようになるのは中学一年生の秋くらいだと思う。いつかママが言っていた、立場が人を作るのよというのは、おそらくこういうことなんじゃないだろうか。

 家まであとちょっと、と奮い立たせる位置に公園がある。あたしは時々、そこのベンチに座ってぼーっとすることがある。寄り道も、本当は学校で禁止なのだけど、駄菓子屋をあれだけ怖がってもなぜかここには来てしまう。これはエミちゃんにも内緒にしていることだ。
 ベンチの他に、古いすべり台とシーソーがある。あたしはここへ来るたびに、ブランコがないのは公園失格だ、と思う。とはいっても、ブランコがあっても帰り道では乗らないと思うけれど。ベンチに座るだけだからまだ罪悪感が緩和されているところがあって、ブランコは駄菓子屋と同じになるのでそういうところの基準を見るにあたりあたしはチキンなのだな、と思うのだった。
 今朝はママに帰りが遅くなると言われていた。冷蔵庫に晩ごはん入れておくのと、帰りにお惣菜買って来るのとどっちがいい、とママが聞いてきた。あたしはお惣菜、と答えた。ママが遅くても晩ごはんは一緒に食べたかった。ママは分かったと言ってお花みたいに笑って、ふわふわした手であたしの髪を撫でた。眠たいのを我慢して待たないで寝ていいんだよ、というママの気持ちも気づいていたけど、あたしはただ元気に頷いただけだった。結局、ママはあたしと晩ごはんが食べられるのだって嬉しいのだ。ママに愛していますよと振る舞いで伝えることも、子供の役目だと思う。
 公園の前を人影が通り過ぎた。あたしはどきっとして身を縮めた。今までに一度だって先生に怒られたことはないから、今ベンチに腰をかけていることなんて見つかるはずはないが、それでも少し心臓がばくばくする。細目で確認すると、たまに見かける犬を散歩させたおじさんだった。姿が見えなくなってから、あたしは胸をなでおろした。
 ママの仕事を、あたしは知らない。前に一度、尋ねてみたところ、「ママはママとママのスウィートハニーガールがしあわせに暮らすためのものを、魔法で作っているのよ」という返答だった。だからあたしはそれを真に受けることにしている。この前道徳の授業で習った、親孝行ってもののひとつだと思う。

 

 

(つづく)(かも)

2017.11.26